基礎学力を考える 企業トップインタビュー
三菱地所株式会社
取締役社長 木村 惠司 氏
1947年生まれ。1970年東京大学経済学部経営学科卒業後、同年三菱地所株式会社に入社。その後、秘書部長、企画部長、取締役 常務執行役員 企画管理本部副本部長、取締役兼専務執行役員 海外事業部門担当兼ホテル事業部門担当兼株式会社ロイヤルパークホテルズアンドリゾーツ取締役社長(代表取締役)、等を経て、2005年より現職。
1.全ての若者に身につけて欲しい3つの基礎能力
全ての若者に社会に出るまでに身につけて欲しい基礎能力は、「日本独自の教養」「見識・倫理観」という「基礎学力」と、それらを基盤とした「互助互恵の精神」であると考えています。
「基礎学力」(1) -「日本独自の教養(リベラルアーツ)」
ますます進展するグローバル社会においては、日本独自の文化・歴史・言葉に関する教養(リベラルアーツ)を身につけていることが必要です。どんなに流暢に英語が話せても、自国の教養を持ち合わせていない人は、国際社会では「中身がない人」と見なされてしまいます。どの国の人であれ、国際的な舞台で最初に語り、また聴かれるのは、自国のことに他ならないからです。
また、国際的な教養(世界の文化・歴史・言葉)を身につけるための前提としても、まずは日本についての教養が不可欠です。それが無いと、日本と他国を相対化して捉えられないため、日本を国際社会の中に位置付けることができないからです。日本の座標(ポジション)がどこにあったのか、あるいはあるのか、ということを歴史上の時間軸である程度理解しておく必要があるのです。
教養が必要なのは、何も国際社会に限ったことではありません。年代の離れた日本人と対話する際も、自分が重ねた年齢に相応しい教養を身につけていなくては、相互理解は困難でしょう。
「基礎学力」(2) -「見識・倫理観」
企業活動の目的は「お金を儲けること」ではなく、「より良い社会のために価値を生むこと」です。企業活動に関わる全ての人に、道徳心・誠実さ・優しさがなければ、良い商品・サービスは生まれません。「勝ち組、負け組」などという言葉も耳にしますが、弱肉強食の社会がより良い社会とは思えません。まずは、弱者に対して手を差し伸べること、自分の利の前に他者の利を考えること、などの大切さを教えることが最も大切だと思います。
これらの考え方は決して高尚なことではなく、人として生きていくための基本的なものです。その意味では、「基礎学力」のひとつと考えて良いと思います。これらのことは、教師に限らず全ての大人が手本を示していく必要があるでしょう。「教育」とは「協育」とも書けるものと、私は考えています。
「互助互恵の精神」
人は決して一人では生きられません。社会や組織が健全に機能して初めて生きていくことができる、社会的な生き物なのです。人の価値観や思いは千差万別であり、お互いに自己主張し合うだけでは、社会も組織もあっという間に崩壊してしまうでしょう。それぞれの価値観や思いを理解し合い、互いに恵みを与え合おうとする、互助互恵の精神が必要なのです。多様性を受容できる力が問われています。
2.基礎能力を身につけるために必要な2つの経験
上記の基礎能力を身につけるためには、それぞれの好奇心・感性・情感・理性などを磨く必要があります。そのためには、次の2つの経験が欠かせないと考えています。
(1) 読書
小学生の頃はもちろん、中高生の多感な時期に、多くの読書をすることが必要です。
特にお勧めしたいのは歴史書(小説でも可)です。歴史書を読むことで、長い時間軸の中で点と点が繋がり線になり、線と線が交差して面となっていくという歴史絵巻を追体験できます。大局観を養うには非常に良い教材です。一部の人は「歴史は暗記科目」と認識しているようですが、試験対策のための暗記を勉強の本質と思ってはいけません。本質的な勉強とは、本を読むことそのものだと言えます。もちろん受験勉強を疎かにして良いわけではありませんが、興味や好奇心を持って臨み、感動と共に体得したものこそが、生涯使える基礎能力となるのです。
私は高校時代、歴史小説に没頭するあまり受験に失敗した苦い経験がありますが、その経験も決して無駄ではなかったと思っています。小説の中で躍動する英雄たちの姿に魅入られるうち、日本の歴史・文化に強い好奇心を抱くようになりました。そうした好奇心は、やがて何事にも自ら見て、触れて、行動しようという気持ちに繋がっていったように思います。
私が若い頃読んだ本の中に、五味川純平氏の『人間の條件』という小説があります。戦前・戦中の日本を舞台に、戦争の悲惨さとその中で生きる人間の姿を描いた作品です。この小説を通じて、国体が個人や組織に及ぼす影響力の大きさに戦慄を覚え、国や社会に対する想像力が掻き立てられました。私が持っている社会課題意識に、少なからず影響しているように思います。
(2) 様々な人と対面で出会う
世代・出身地・文化背景等が自分とは異なる人々と、たくさん出会うことも必要です。出会いを通じて、世の中には様々な価値観が存在することを肌で知り、自分自身が「シャッフル」されます。そうやって自分というものが練れてくると、人は多様性を受容できるようになるのです。
最近の若い人の中には、他人との意思疎通に携帯やパソコンのメールを多用している人もいるようですが、メールとは本来事務手続きを迅速に処理するためのツールであり、相手の感情や人となりを窺い知ることには向いていません。メールに頼り過ぎ、お互いに本当の自分を曝け出さないまま「分かったふり」をしていては、多様性の受容力を鍛えることは困難でしょう。あくまで、生身の人間と接することが肝要なのです。
私は学生の頃のジャズサークル活動を通して、これらの経験を積むことができました。当時すでにその名を馳せていた渡辺貞夫氏と、アメリカ帰りの新鋭 日野皓正氏を呼んで、ジャズコンサートを企画したこともあります。結局、二人のジョイントは実現しませんでしたが、アーティストやスポンサー、大学、行政、地域住民など多くの利害関係者(ステークホルダー)との折衝を通じ、多様な価値観を受容する力が培われたと感じています。部活動・サークル・ゼミ等何でも良いですから、様々な利害関係者を巻き込んで真剣に取り組むという経験を持つと良いでしょう。
3.特に当社の社員に期待する3つの基礎能力
若者全てではなく、特に当社の社員に期待する基礎能力は、主に次の3つと考えています。
(1) 深く考え抜く力
当社が進めている丸の内再構築は、「丸ビル」「新丸ビル」の建替をはじめ東京駅前周辺を重点的に機能更新を進めた第1ステージを終え、「文化」「都市観光」など街の機能の更なる多様化や、ビジネス機能の深化を更に進める第2ステージへと突入しました(2008年1月取材時点)。このプロジェクトを進める上で、社員たちは地権者や行政、テナントさんなど、相当数に上る利害関係者と長期間にわたって対話を重ね、調整を図ってきました。それぞれの利害得失や価値観を考えながら、全てを統合していくには、相当な思考耐久力が求められます。即ち、当社の社員には深く考え抜く力が求められるのです。
(2) 粘り強くコミュニケートする力
様々な利害や価値観を統合しながらプロジェクトを進めていくために、上記の深く考え抜く力と同時に必須となるのが、粘り強くコミュニケートする力です。難局に当たった時、逃げずに、パートナーシップを忘れずに、粘り強く打開策を模索し続ける対話能力がなければ、プロジェクトはあっという間に頓挫してしまうでしょう。また、どんなに頭の中で起承転結が成り立っていても、相手がきちんと理解するまで粘り強く伝えていかなければければ、プロジェクトは決して前に進みません。
(3) 胆力
胆力とは、決断力と同時に我慢する力、あるいは待つ力をも含みます。時にじっくりと腰を据えて時機や趨勢を待てなければ、大きなプロジェクトを成功に結びつけることは出来ません。粘り強さや胆力の土台は、成功体験に基づくどんな時も自分を信じる力だと思います。
4.当社が求める人材像 ~「異端者」と「知恵者」
最近の若い人たちは、良くも悪くも常識的な印象を受けます。もちろん常識は大切ですが、もう少し非常識で破天荒なアイデアを持った、良い意味での「異端者」を期待しています。良い「異端者」とは、その発想は奇抜であっても、最終的には周囲からの賛同を得て、社内外の人々を巻き込んで、事を成しえる人物のことを指します。自分勝手な行動で周囲から浮いてしまう人物とは全く異なります。
両者の違いを規定する要素のひとつとして、これまで述べてきたような基礎能力を備えているか否かが大きいと考えています。言い換えれば、大仕事を成しえる「異端者」となるためにも、基礎能力の習得を疎かにしてはならないのです。
また、ビジネス社会では知識・スキル・ノウハウといったもの以上に、知恵こそが重要です。一定の知識・スキル・ノウハウ等が武器であることは確かですが、そうした武器を生かしきれるか否かは、その人が持つ知恵にかかっています。「知識者」と「知恵者」では、全く異なるのです。例えば、昨今叫ばれているコンプライアンス(法令順守)にしても、合法非合法のみで判断してしまうのは単なる「知識者」であり、更に一歩深めて社会適合性まで含めて判断するのが「知恵者」なのです。
私たちは、「基礎学力」を含む基礎能力を十分に身につけた、良い「異端者」や「知恵者」と共に働きたいと願っています。その意味でも、全ての若者が社会に出るまでに基礎能力(特に学生時代は「基礎学力」)を身につけることを怠らないで欲しいと思います。
※掲載内容(所属団体、役職名等)は取材時のものです。