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基礎学力を考える 企業トップインタビュー

東海旅客鉄道株式会社

葛西 敬之 氏

代表取締役会長 葛西 敬之 氏

1940年生まれ。1963年東京大学法学部卒業後、同年日本国有鉄道入社。1967年米国ウィスコンシン大学に留学し、経済学修士号取得。その後、静岡鉄道管理局総務部長、仙台鉄道管理局総務部長、職員局次長、等を歴任。1987年東海旅客鉄道株式会社発足とともに、取締役総合企画本部長、代表取締役社長、等を歴任後、2004年より現職。社外では、国家公安委員会委員、年金業務・社会保険庁監視等委員会委員長、海陽学園海陽中等教育学校副理事長を務める。

1.学校教育の役割は「基礎学力」を定着させること

 「漢検(日本漢字能力検定)」の年間志願者数が270万人を超えている(平成19年度現在)ということに、大変な驚きを覚えます。これだけ多くの日本人が「日本語の読み書き」の核である漢字の活用能力を測定しているということは、「基礎学力」とりわけ「日本語の読み書き能力」の重要性が再認識され、その向上に社会全体の熱が高まっていることを感じるからです。
 一方で、日本の教育において国語が軽視されてきたことも指摘しておかなくてはならないでしょう。日本の国語の授業時間を世界と比較してみると、小学校4~6年で、英251時間、仏237時間に対して、日本はわずか147時間しかありません。2008年2月に発表された学習指導要領改訂案でも、149時間しかないのです。母国語の能力があらゆる思考能力の上限を決するのは自明であるにも関わらず、これほど国語教育を軽視する国は世界に類例がありません。
 初中等教育の根本は、基本中の基本である「読み書き算数」という「基礎学力」を必要十分で効率的に定着させることであり、それは世界の常識です。その勉強手法とは反復練習であり、学校教育の役割の大半はここにあると考えています。

2.「基礎学力」とは「体験を通じて学び取ることが出来る能力」

 高校を卒業するまでに必須の「基礎学力」とは、「大学の講義や体験から学び取ることが出来る能力」だと考えます。その観点からも、何をおいても「日本語の読み書きと算数(数学)」が最優先であることは論を待ちません。少なくとも、日本語に関しては自由自在に操れる必要があります。その次に大切なのが、世界と情報の受発信を行う手段としての「英語」であると思います。
 大学(大学院)を卒業するまでに必須の専攻分野の「基礎学力」は、企業に入ってから「専門領域を実地に学び取ることが出来る能力」でありましょう。例えば、大学で機械工学を専攻したからといって、入社してすぐに鉄道車両を設計出来るわけではありませんが、大学で身につけた「基礎学力」を活かしながら、入社後の経験を通して多くのことを学ぶことにより、10年以上かかって一人前の車両技師になるということです。

 あらゆる企業において、その企業価値の核となるような仕事は、概して複雑で難易度が高いものです。企業は、「基礎学力(学び取る能力)」を持った人材に長い年月をかけて体験を与え、核となる仕事を任せ得る人材として育てあげ、会社の発展に貢献させるのです。
 欧米諸国や市場原理主義の考えを取り入れて、「即戦力採用」や「人材の時価評価」を積極的に行っている企業もあるようですが、そのようにして採用された人材は、組織への忠誠心や愛着心、組織に対する安心感も持ちにくいでしょう。短期間で自分の業績を極大化することばかりを考えがちなものです。そのような人材は、中長期的な視点に立って社会における課題解決を図ったり、社会インフラを築いていくといった企業において、適切に貢献できるとは思えないのです。

3.社会で問われる「裾野の広い基礎学力」

葛西 敬之 氏 大学までの学習は、基本的に正解があり、解き方が決まっていることが多いものです。常に課題と解法とひとつの正解がある世界なわけですから、「読み書き算数」を中心とした基本的な「基礎学力」があれば十分学んでいけるでしょう。
 ところが、企業(社会)での学習の場合、そもそも課題や解法を与えられることはなく、もちろん正解もひとつではありません。社会における課題は、自ら考えて設定していくものなのです。また、決まった解き方もないわけですから、多数ある正解の中からひとつの正解を選び取り、その実現に向けて実行していくことになります。世の中には、絶対正解である真っ白も、絶対悪である真っ黒もなく、全てがグレーゾーンの中で、どこに落とし所を探すのかということばかりです。ですから、社会で学ぶためには、「裾野の広い基礎学力」に基づく「課題形成力」と「課題解決力」が必須となるのです。

 最近の若者の一部には、目前のことを解決するために、時間もエネルギーも割かずに効率良く学ぼうとする姿勢が見受けられます。大学入試に出ないことは勉強しない、公務員試験の傾向と対策のみしか勉強しない、などがそれです。これでは、「裾野の広い基礎学力」は持ち得ず、「課題形成力」や「課題解決力」は決して身につきません。当然のことながら、社会に出てからも幹部候補やリーダーたる人材にはなり得ません。一流大学の成績優秀者にも関わらず、社会であまり活躍したり貢献できないタイプの多くは、この「裾野の広い基礎学力」を持ち合わせていない場合が多いと、経験上感じています。

 「裾野の広い基礎学力」を培うためには、まず核となる濃厚な人間関係の「原体験」が必要です。親友との葛藤、身を焦がす恋愛、チーム一丸となって戦ったスポーツ、家族の危機を乗り越えたこと等の心を揺さぶられる深い体験が、その人の核を形作るのです。
 その核の周囲を大きく広げていくためには、人間関係や人間の歴史を「追体験」することが不可欠です。これは、良書を読むことによって可能になります。最も多感な中学・高校時代に多くの読書を行い、その内容を理解するためにも、常用漢字の活用能力(漢検2級レベル)は早い段階で身につけておくと良いでしょう。少なくとも小学校卒業までには、大人の本は全て読める程度の語彙・漢字力を身につけさせることが理想です。PISA調査で上位のフィンランド等では、一般的に「勉強」と言えば「読書」のことを指すそうです。「暗記活動」が「勉強」と思っている日本人の感覚は、世界常識に照らすとずれているかもしれません。
 多くの中高一貫校では、早期に常用漢字を習得できるように指導していると聞きますが、私が副理事長をしている海陽中等教育学校でも、中学3年生までにはそれぐらいのレベルを習得していて欲しいと思っています。良書による「追体験」は早く始めるに越したことはありません。そもそも言葉の力が弱ければ、直接経験したことを「原体験」に昇華することも、読書によって「追体験」を行うことも出来ず、結果として思考力も判断力も情緒力も持ち得ないのですから。

4.「基礎学力」とともに極めて重要な「能動性・主体性」の危機

 「課題形成力」や「課題解決力」を培うために「基礎学力」と並んで極めて重要なのが、「能動性・主体性」です。ところが今、子供たちの「能動性・主体性」が危機に立たされていると感じています。
 これらは、自分で自分の時間の使い方を決める、自分でしたいことを決めて行うという体験を通じて、はじめて体得される素養です。ところが、長時間学校に拘束されるにも関わらず、必ずしも十分な「基礎学力」を身につけられない子供たちは、その不足を塾で補わなければならず、自由にできる時間を奪われているように思います。また、塾や家庭で時間配分から参考書まで全てを他律的に決められ、受動的に過ごす時間が大半を占めています。このような状況の子供達に「能動性・主体性」を発揮するように求めるのは酷な話でしょう。

 「能動性・主体性」を取り戻すためにも、子供たちに自由にできる時間を与えなくてはなりません。そのためには、初中等教育において「履修」すれば良いことと「習得」しなければならないことを明確に峻別し、「習得」すべき「基礎学力」即ち「読み書き算数」にパワーを傾斜配分すべきだと考えています。そうすることで、「習得」すべき「基礎学力」を効率良く身につけさせ、子供たちに自由にできる時間を与えることができるのです。履修科目全てを子供たちにあまねく習得させることは現実的ではありません。満遍なくパワーを配分しようとするあまり、教員も子供たちも余裕を失ってしまうので、結局「習得」すべき「基礎学力」を身につけることができないのではないでしょうか。
 また、自ら物事に取り組んで成し遂げたという「成功体験」の機会を意図的に作ることも必要となるでしょう。自分でしたいことを考え行動するという体験、自分で目指したものを努力して達成したという体験、この二つがあれば、「能動性・主体性」は自ずと育っていくはずです。

5.いきなり楽しい「学習」など存在しない

 孔子の『論語』の中に、「子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」という名言が残されています。「それを知っている人より好きな人、好きな人より楽しんでいる人の方が、そのことに優れている」という意味です。
 これは同時に、「人はまず知った後に好きになり、好きになった後に楽しくなる」という順序も示しています。いきなり「楽しく学びたい」「楽しく学ばせたい」と考えるのは無理があるということです。この考え方に立てば、世界中で今も実践され、ひと昔前の日本の学校でも普通に行われていた「音読」「手書き」「暗唱」という基礎基本の訓練のパターンは、極めて理に叶ったものだと解ります。この方法で全ての子供たちに「基礎学力」を「習得」させることが急務であると考えます。


※掲載内容(所属団体、役職名等)は取材時のものです。

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