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基礎学力を考える 企業トップインタビュー

株式会社三井住友銀行

奥 正之 氏

頭取兼最高執行役員 奥 正之 氏

1944年生まれ。1968年京都大学法学部卒業後、同年株式会社住友銀行に入行。シカゴ支店長、取締役国際総括部長、企画部長などを経て、2001年株式会社三井住友銀行 専務取締役兼専務執行役員に就任。その後副頭取を経て、2005年より現職。株式会社三井住友フィナンシャルグループ取締役会長も現任。ミシガン・ロー・スクールLLM。

1.人生の大きな期間を占める「教育」について

 皆さんは、人生の中で教育を受けている期間について、改めて考えてみたことがあるでしょうか。日本の場合、小学校入学から大学まで行けば実に16年間あります。人生を80年と換算すれば約5分の1、定年まで60年と換算すれば実に4分の1以上が、教育期間で占められている計算になります。これだけの膨大な時間を、しかも育ち盛りの貴重な青春の時間を費やすのですから、「教育の質」は勿論、自身のやる気が大変大事です。ゆめゆめ無為に過ごしてはいけません。

 日本は今、世界でも類を見ないスピードで少子高齢化が進んでいます。少ない労働人口が多くの高齢者を支える、「逆ピラミッド型」の人口構造へと急速に変わっています。このような社会においては、子供たちを含めた若者全体の仕事における生産性を向上し、一人ひとりの価値(バリュー)を高めていかなければ、現在の経済規模や生活水準を維持していくことすらできないでしょう。いわば「豊かなる衰退」の危機に瀕しているのが、今の日本社会なのです。

 その観点からも、教育は国家存続のための最優先課題のひとつと言えるのです。
 まずは、全ての子供たちや若者に「基礎学力」をつけさせることが、焦眉の急の課題だと考えます。後ほど詳しく述べますが、思考したりコミュニケーションしたりする場合に「読み書き計算」などの「基礎学力」は必須だからです。
 学ぶ目的は人それぞれかもしれません。ですが、日本という国の構成員として「日本の将来造りに役立つため」という大きな目的は、全ての国民に共通でありましょう。

2.「知・徳・体」のバランスと能力を「引き出す」教育の重要性

 一人ひとりの価値(バリュー)を高める上で大切な視点は、「知・徳・体」のバランスの取れた教育を行うことです。中には例外的に特定の領域に突出した能力を持つ人もいますが、多くの人々は「知・徳・体」をバランスよく備えておかなければ、社会に貢献することは難しいと思います。
 「基礎学力」に裏付けられた「知」がなければ、論理的に物事を考えることができず、社会貢献はできません。企業・官庁・NPO等の機能組織においては、組織が果たすべき使命や役割の実現のために、構成員の一人ひとりが論理的思考を積み重ねなくてはならないからです。また、社会倫理観や躾による礼儀礼節、いわゆる「徳」を身につけていなければ、社会的に正しいことを人と協働して行うことが出来ないため、この場合も貢献は難しいと思います。さらに「体力」が無ければ、考えたことを実践していくことが出来にくく、事を成しえなくなる確率が高まります。

 教育の究極の姿は、その人の能力を「引き出す」ことであることに異論は少ないと思います。しかしながら、何もないところからいきなり「引き出す」ことは出来ません。前提として、まずは教え込むことも重要でしょう。「引き出す」教育に到るまでには、次の三つの段階があると考えます。

第一段階 「反復訓練(Drill)」 → 必要な「知」を体得する段階
第二段階 「高める訓練(Training)」 → 「知」をさらに高次元に高める段階
第三段階 「伸ばす指導(Education)」 → 能力を引き出し、伸ばしていく段階

 この三段階をクリアさせるためには、一人ひとりの子どもが前向きに取り組むよう、大人たちが「意欲づけ」をしてあげることが重要です。これは銀行の世界も同じで、最初の2~3年は行員としての基礎を集中的に叩き込みますが、その後は一人ひとりが意欲的に取り組める環境作りに注力しています。構成員の能力を引き出すためには、各自の自主性を尊重しつつも、組織的に取り組んでいかなければ効果は期待できないのです。

3.当行が従業員に求める「貫徹力」とそれを支える「基礎学力」

 当行では、どんな仕事も「考え抜く」「やり抜く」という「貫徹力」と、協調して事を成す「チームスピリット」を持った人材を求めています。この「貫徹力」を支えるのは、次の四つの能力だと考えています。

(1) 「合目的」的思考 → 常に目的に照らして論理的に考える力(左脳的能力)
(2) 五感をフル稼働させる力 → 動物的な勘や情緒力(右脳的能力)
(3) コミュニケーション能力
(4) 協調心

 先ほども述べましたが、銀行員には銀行という機能組織の目的に照らしながら、自分の日々の行動にブレイクダウンする論理的思考力(左脳的能力)が必要です。また、様々な好機(チャンス)や危機(ピンチ)を嗅ぎ取る五感(右脳的能力)も必要です。この左脳と右脳をバランス良く活用し、正しく「考え抜き」正しく「やり抜く」ことができる人材を求めています。
 さらに、「考え抜く」という行為においては、一人で「合目的」的に思考するだけでは十分ではなく、他人と意見を交換したり統合したりしながら思考を高め、共に行動していく必要があります。そこで、コミュニケーション能力とチームスピリットも不可欠な要素になります。コミュニケーション能力を因数分解しますと、「傾聴力」と「説明力」に分けられます。このふたつの往復によって、初めて意味のあるコミュニケーション(対話)が生まれるのです。
 これらの思考力・傾聴力・説明力の土台中の土台となるのが、漢字力や語彙力であることは言うまでもありません。人は言葉によって考え、聴き、話すのですから。さらに、説得力のある説明をするためには数理思考力が必須ですし、大局的に物事を捉えて相乗効果を発揮するようなコミュニケーションをとるためには、歴史や自然科学の知恵も求められるでしょう。

 このように、仕事を貫徹するためには、幅広い能力が求められるのです。私がよく「銀行員の仕事は、科学であり、芸術であり、心理学である」と行員に話している所以です。そして、あらゆる能力の土台は「基礎学力」にあると考えています。

4.チャンスをモノにするためには「基礎学力」と「意欲」が不可欠

奥 正之 氏 全ての人に、チャンスは平等に訪れます。そして、チャンスが巡ってきた時に、その人が取る行動は三つのタイプに分かれるように思います。

(1) チャンスそのものに気付かない人
(2) チャンスだと分かっていても、それに喰らいつけない人
(3) チャンスを確実にモノにする人

 (1)は右脳的能力や「基礎学力」の不足が原因であり、(2)は右脳は働いても「基礎学力」そして「意欲」の不足が主な原因でしょう。チャンスを確実にモノにするためには、「基礎学力」と「意欲」が欠かせないのです。

 この「意欲」は、「成功体験」のみならず「失敗体験」からも育まれると考えます。人は失敗から多くの事柄を学び、謙虚さを身につけます。それを踏まえた上で、次は失敗しないようにきちんと計画性を持った挑戦を行い、成功を収める。そのような経験こそが、「やればできる」という揺るぎない「意欲」の基盤となるのです。

 また、チャンスをモノにするためには、自分の得意分野(ドメイン)を持っておくことも肝要です。そうしたドメインがあれば、そこを基点に物事を思考し、応用させていくことができるからです。
 私の場合、大学時代に法律を勉強し、入社後に留学生としてアメリカのロースクール(法科大学院)で学んだ経験が、一つのドメインとなっています。アメリカから帰国後まもなく、安宅産業という中堅商社の海外投資で問題が発生し、その対応に追われたことがありました。その際、海外留学の経験を買われ、私がその法務担当に登用されましたが、そのチャンスをモノにできたのも、得意領域を持ち、それを応用させることができたからだと考えています。

5.学ぶべき「基礎学力」の優先順位と劣後順位を明確にすべし

 ここまで述べてきたような諸能力とその土台となる「基礎学力」を習得するためには、16年間の教育期間が非常に重要になります。この16年という比較的長い時間の中で、どのような優先順位と劣後順位をつけて教育していくかは、国の将来構想をどう描くかという問題とも絡んで、非常に重要な問題です。

 私は、その中では「日本語の読み書き」を最優先すべきだと考えます。「日本語の読み書き」こそ、論理的思考や対話など、あらゆる活動の土台となるものだからです。次に挙げたいのが「科学」です。資源に乏しい日本は、科学技術で立国する以外にありません。「科学」こそが、モノづくり活動の土台です。また、自然と共生する我々は、自然科学についてもっと興味を持つべきでしょう。次に重要なのが「歴史(日本史・世界史)」です。人の営みを知ることは、社会活動の土台となるからです。
 英語をはじめとする外国語の習得ももちろん重要ですが、優先度を高く置き過ぎている場合も散見されます。外国語は、様々な活動の土台となる「基礎学力」というよりは、土台から生み出されたものを外国人と相互にコミュニケートするための手段に過ぎないことを忘れてはなりません。

 これらの優先度の高い領域に関しては、到達すべき範囲と目標を明確に設定し、それを達成すべく徹底的に訓練することが大切でしょう。同時に、劣後に置いた領域に関しては、到達範囲や目標は緩やかな設定とし、子供たちに精神的な余白を与えることも必要だと考えます。あれもこれもと取り入れて、しかも全てが大事だと詰め込まれたら、子供たちにとって最も大切な学び、つまり応用したり深めたりということに割く時間が無くなってしまうからです。その学校が輩出したい生徒像と、そのために必要な学びの優先順位と劣後順位を明確にするべく、各校の教員同士が徹底的に議論する必要があると思います。


※掲載内容(所属団体、役職名等)は取材時のものです。

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