「知識情報社会の今こそ、求められる日本語力・漢字力」 講演録
当協会では、平成22年10月3日(日)に神奈川県で教員・保護者向けセミナーを開催しました(後援:神奈川県教育委員会、横浜市教育委員会、千葉県教育委員会)。慶応義塾大学理工学部教授の山崎 信寿氏による講演内容をご紹介します。
第2部 理工系にこそ求められる日本語力 山崎 信寿 氏
言語の文化的背景の重要性
皆さん、こんにちは。本日は、私の専門である科学技術分野が、どのように日本語とかかわってきたのかについて、お話をしたいと思います。 私の経歴について少しお話をさせていただくと、1983年に留学生を対象とした科学技術分野の日本語の指導を任されることになりました。
しかし、それまで言語の専門的教育など、まったく受けたことがありませんでしたので、何をどう教えればよいのか、まるで分かりませんでした。そこで試行錯誤を重ねながら作ったのが、『科学技術日本語案内』という本です。これは科学技術分野の専門家としては初めての日本語の教科書ということで大変注目され、これを機に私は日本語教育にどっぷりとつかることになりました。その後、1996年には、対象を留学生から日本人学生に切りかえた日本語教育を開始し、他大学が取り組んだことがない、新たな実践をスタートしました。1999年には、留学生を担当している日本語教員を中心に「専門日本語教育研究会」が創設され、以来現在に至るまで、その編集委員や代表幹事を務めています。
さて、いざ留学生に日本語を教えるとなると、いやが上にも日本語と向き合わなければなりません。何をどう教えればよいかも問題ですが、それ以前の問題として「何が分からないのか」が問題になってきます。これが把握できなければ、何も教えることができないのです。 留学生から見た「日本語の分からない点」は大別すると三つあります。一つ目は「用語レベルの分かりにくさ」、二つ目は「文章レベルの分かりにくさ」、そして三つ目が「書式レベルの分かりにくさ」です。
書式とは、例えばタイトルと本文を分けて書く、二段組にして書くなど、文章を記す上での形式やルールのことです。留学生にとっては、これら三つの言語の知識と運用能力をどのように身に付けていくかが課題になるわけですが、指導を続けているうちに、言語の背景にある「生活文化」および「専門文化」が、言語の習得に非常に大きな影響を与えていることが分かりました。
例えば、私が専門分野の難解な解説を行った際、日常生活によくある「喩え話」を挙げても、留学生にとってはかえって難解になるケースがあります。それは、同じ文化的背景を共有していないことによって引き起こされる問題や障害です。例を挙げながらお話をしたいと思います。
馴染み深い日本語が一番難しい
専門分野で使用される日本語を「専門日本語」とすると、専門日本語は大きく三つに分けられます。まず「純粋専門日本語」、次に「基礎専門日本語」、最後に「一般専門日本語」です。専門日本語といって、多くの人が思い浮かべるのは「純粋専門日本語」です。
「純粋専門日本語」とは、例えば、「微係数」や「力積」、「光電子」など、一般ではまず目にしない日本語です。これらの言葉の中には、専門分野間で微妙に意味が異なるものもあります。例えば「分散」という言葉は、化学では「微粒子の散在」を意味し、状態を表しますが、数学では「平均二乗誤差」の意味を持ち、数の統計を表す際に使用されます。一方で、「単位時間あたりの波形の数」を示す言葉を、機械系の分野では「振動数」と呼び、電気系の分野では「周波数」と呼びます。このように、意味は同じでも表現が異なる場合もあります。また、一般で使われている日本語と「純粋専門日本語」では、同じ表現でも意味が異なる場合もあります。例えば、数学における「行列」は、数字や文字を方形に並べたものを意味しますが、一般の会話では、店舗などの前に並ぶ人々の群れを指すわけです。 二つ目の「基礎専門日本語」については、「比例」や「円柱」、「試験管」、「重心」などの例が挙げられます。これらの数学用語は、一般的にも使用する機会が少なくありません。
三つ目の「一般専門日本語」は、例えば「針金」や「格子」、「関節」など、元来は専門用語だったものが、日常生活の中でも頻繁に使用されるようになり、一般に定着したものです。
こうして見ると、我々にとっては「純粋専門日本語」が最も難解なもののように思えますが、実は留学生が理解に苦しむのは、「一般専門日本語」の方なのです。「純粋専門日本語」については、最初は日本人学生にも分かりませんが、使用される範囲や定義が一義的で明確であるため、専門学習で国籍を問わず理解ができます。また、「基礎専門日本語」については、義務教育で習う言葉ですから、教材も豊富ですし、母国語を援用することで理解することが可能です。盲点なのは、「一般専門日本語」で、日本の文化を背景として生まれた言葉であることから、母国語に対応させることができず、また日本人にとっては「当たり前のこと」とされているため、教材も乏しいのです。そのため、言葉から意味や具体的なイメージを持つことが非常に困難になってしまいます。日本語を正確に理解させるためには、この領域を重点的に教えなければならないのです。
言葉からイメージを持つことの難しさ
日本語を「イメージ」するのが、いかに難しいかという例を示しましょう。代表例として、操作や物理的状態を表す言葉が挙げられます。操作用語でいえば、「精製」「粉砕」「攪拌(かくはん)」「放冷」などがありますが、これらの操作を日常生活で行う機会は限られています。また、「しなり」「ゆがみ」「まくれ」「うねり」といった物理的状態を指す言葉についても、このような現象を目にする機会は乏しく、言葉とイメージを正確に対応させるまでには時間がかかります。つまり、変位・変形の表現例に関しては「言葉による意味の説明」をすることは非常に困難であり、図などを用いて、まず言葉の意味ではなく、イメージを持たせなければならないのです。
こうして見ると、日本語というのは、言葉の定義が非常に緩やかで感覚に依拠していることが分かります。しかし我々は、同じ文化を共有していることで、違和感を持つことなく、無意識に使用しているのです。
今まで、漢字とひらがなの話をしてきましたが、日本語というのは、カタカナやアルファベット、数字、ギリシャ文字など、もっと多くの要素によって構成されています。例えば、人間の背骨は「S字状」に曲がっているとか、「コの字状」に机が並べてくださいとか、普段の生活でも使います。これらの文字は、字形がそのまま図の役割をしているわけです。
こうした表現は、比喩表現にも見ることができます。例えば、「山形」や「ピラミッド形」「釣鐘形」「短冊形」「すだれ状」など、物の形を連想させる比喩表現を挙げれば、枚挙にいとまがありません。しかしここにも、それぞれの国の文化的背景が大きく影響してくるのです。 例えば、山形といわれたとき、ほとんどの日本人は富士山のような山を思い浮かべます。しかし、中国にある山の多くは、図1のような形をしています。また、西洋の釣鐘といえば、一般的に図2のような形をしていますが、これらのイメージは、国や世代ごとに無意識的に刷り込まれているものなのです。 私たちは耳で聞いた言葉を、頭の中にある「メンタルイメージ」によって再現し、理解しています。各人のメンタルイメージは、それまでの環境や生活、文化によって構成されているため、文化の異なる国の人同士が共有することは難しいのです。
また、私たちは無意識に言葉の使い分けをしています。図3は、言葉から得られるイメージの位置関係と距離感を図示したものです。位置を示すのにも、「中心」「内面」「外面」「周囲」といった言葉が、それぞれ対象とどのような位置関係にあるのかを無意識にイメージしています。また、距離についても「無限」が一番遠く、次に「遠方」「近接」「接触」「圧着」の順に近くなるといった具合に、対象との距離感を無意識にイメージして使い分けています。ここから、単語レベルで意味を理解させるのではなく、それぞれの言葉が全体の中でどのような関係を持ち、どの部分に位置付けられているのかといったことを理解させることの重要性が見えてきます。
話し言葉の中にある落とし穴
一方、目に見えない言葉や意味を補完しなければ、会話が成り立たない場合もあります。日常生活で使用している「話し言葉」がその代表例です。話し言葉は、用語の使い方も単語の順序も支離滅裂であることが多いのですが、それでも会話が成立するのは、聞き手が話の中から適当な情報をサンプリングし、相手の言わんとしていることをイメージしているからです。これができないと、まったく別の意味に捉えられてしまうケースもあります。
過去に大学の授業で、1年生の実験を指導したとき、「電気を切って」と指示したら、一人の学生がはさみでコードを切ってしまったことがありました。本当の話です。会社で「コピー焼いて」と頼んだら、書類を焼却場に持っていかれたなんてこともあったそうです。
これらは、言葉単体の意味で捉えれば、決して間違っているわけではありません。しかし、我々が普段行っている日常会話には、往々にして直接には表現されない「含み」があるわけです。「電気を切って」であれば「電気の(スイッチを)切って」といったようなことです。これらは、同じ文化や生活を共有していないと察することが難しいものです。我々が普段何気なく使っている言葉は、留学生にはまず通じないと考えた方がよいでしょう。
また、略語や造語も話し言葉の大きな特徴です。例えば、「純粋専門表現」では「飽和する」と表現するものを、専門家の間では「サチる」といいます。これは英語で「飽和」を意味する「saturation」を日本語的に略したもので、「出力がサチる」なんて言い方をします。このように、話し言葉に外来語を組み込んで、日本語化してしまう現象は、日常生活でも多々聞くことができます。例えば「表面をカバーする」「電圧をアップする」「データをチェックする」「問題点をピックアップする」もそうです。これら外来語は、もともと名詞なのですが、日本語に組み込む際、サ変動詞化することで動詞として使用されているのが大きな特徴です
専門日本語の特徴とは
次に「なぜ理系に国語力が必要か」についてお話しします。まず、学生のうちは、実験をしたら実験レポートを書かねばなりません。また、大学院に進み修士となれば、論文作成が必須となってきます。さらに、社会に出てからも研究に携わるのであれば、特許申請書や契約書、仕様書、計画書、提案書など、さまざまな書類を作成することもありますし、完成後に取扱説明書を書くことだってあります。
皆さんは、特許の文章を見たことがおありでしょうか。一例を示しましょう。次の文章は、私が実際に申請した特許に書かれている文章を抜粋したものです。 「装着時において、少なくとも右肩部から○○を通って○○に至るように設けられる伸張性を有する第1ベルトと、装着時において、少なくとも左肩部から〜を通って〜に至るように設けられる伸張性を有する第2ベルトと、を備えることを特徴とする腰部軽減服装」。
これは介護に使用する衣服の特許ですが、構造の特徴を説明するだけで、一文あたり155字も書かねばならないケースも出てくるわけです。実際は、弁理士に文章の作成をお願いしますが、少なくとも記載事項が間違っていないかどうか、書かれた文章を確認する必要はありますので、相応の読解力が求められることになります。 次に、契約書の文例を示したいと思います。私は多数の共同研究をしているため、必ず契約書を書くようにしていますが、例えばこんな条文があります。 「第4条 被開示者は、秘密情報を秘密として厳格に保持し、被開示者の役員及び従業員のうち本件を履行するために秘密情報を知る必要のあるもの(以下「被開示従業員」という。)以外のいかなる第三者にも一切開示又は漏洩してはならない。但し、法令又は裁判所の命令により開示が義務付けられた秘密情報を必要な範囲内で開示する場合は、この限りではない。」
特許文例や取扱説明書にもいえることですが、特徴的なのは、権利内容を説明したり契約を交わしたりする場合、他の意味やニュアンスを含む隙を生じさせない、非常に厳格で一義的な文章を書く必要があるということです。
特許や契約書のみならず、研究論文などでの「専門日本語」の書き言葉の特徴は、次のようにまとめることができます。第一に「である体」を使うこと、第二に「漢語」を使うことです。「漢語」を使うのは、文章を短くするほかに、文章の意味をより明確化させる意図もあります。例えば、「右と左から加わる圧力は、大きさが同じなので打ち消しあってしまいます」という説明文を、科学技術の専門日本語に直すと「左右の圧力は大きさが等しく、打ち消しあう」となります。これは、文章を短くしながら、内容も損なっていません。これが「専門日本語」の特徴といえます。なぜ文章を短縮する必要があるかというと、雑誌などのメディアに研究論文を発表する上で、分量があらかじめ決められていることが多いからです。限られた分量に、より多くの情報を詰め込むためには、文章を簡潔に記述する技術や語彙力が必要となります。
また、その他の特徴としては、「書式が決まっていること」、「文中に図・表・式を使うこと」、「客観的・定量的に書くこと」が挙げられます。
日本人学生の日本語力を鍛える
このように日本語の持つ特性を振り返っていくと、留学生だけの問題ではなく、日本人学生にとっても大きな課題であることが分かります。大学入学時に、日本人学生にアンケートを取ってみると、「文章が書けない」「レポートの構成が分からない」「発表ができない」といった回答が数多く返ってきます。科学技術の分野においては、情緒的な文章ではなく、事実を厳密に説明する文章が求められます。そのためには、目的、方法、結果、考察、結論と、矛盾なく書ける技術が必要なのです。それを入学したての学生に求めても、難しいのは当たり前です。
一方、指導教員も悩みを抱えています。毎月、学生のレポートや論文など、文章の添削に多大な時間を費やし、自分の研究時間が圧迫されているのです。 このような両者の悩みを解消する目的から、慶応義塾大学では1996年より日本人学生を対象とした「理工学部総合教育セミナー」を始めました。しかし、留学生は日本語を学ぶことに潜在的なモチベーションがありますが、日本人学生は、「なぜ、改めて日本語を学ぶ必要があるのか」といった疑問を抱えることも事実です。これを解消し、モチベーションを継続させるために、まずは学生に興味を持たせることから始めました。興味がわけば、学ぶ意欲がわき、思考や行動も伴います。そして知れば知るほど、そのことを人に伝えたくなるのです。
総合教育セミナーでは、具体的に以下のような工夫をこらしました。まず、クラスは20人以下の小規模編成とし、集中力や緊張感が保たれるようにしました。また、教員が、「夢分析入門」や「最新の生命科学と技術を考える」など、いろいろなテーマを掲げ、その中から学生が興味のある課題に自由に取り組めるようにしました。 このようなクラスを、半期選択科目として毎年30ほど開講し、授業には専門課程教員も参加するようにしました。成果の評価は難しいのですが、少なくともアンケートでは高い満足度を得ています。
セミナーでは、研究導入教育として調査から口頭発表、ポスター発表、グループ討論、考察、報告書作成まで一貫した訓練を行います。私の場合は口頭発表を2回、ポスター発表を1回、グループ討論を3回、文章の添削を19種と、徹底した添削と清書を行うのです。最初のうちは、書いた文章をほとんど消して書き直させますから、学生は相当なショックを受けます。しかし、こちら側の要求水準を明確に突きつけなければ、文章力は鍛えられませんから、生ぬるいことはしてられません。私は、常に赤ペンを持ち歩いて、電車の中でも四六時中添削をしています。そのような訓練を繰り返すことで、半年も経てば学生も一人前の報告書を書けるようになるのです。
「専門」は「分業」から派生した
ではここで、「専門」とは何のために存在しているのかを考えてみましょう。結論から申し上げれば、「専門」とは「分業」から派生したものです。これを理解するためには、人間が生存するための成り立ちを知る必要があります。図4に示したとおり、人間は自然界の中で「群れ」をつくることで、生存の確率を上げています。そこから文化が生まれ、社会が形成されていくわけです。これを専門分野に落とし込むと、自然を研究するのが「理学」で、これは事実の理解を目的としています。また、社会を研究するのが「政治・経済・法律」で、これらはいわば人間が群れとして生きていくための仕組みを創造しているわけです。そして「文化」ですが、これは文学や美術などを思い浮かべられるかもしれませんが、その本質は人工物の創造です。その点「工学」も、実は一つの文化装置といえるのです。 このように、人類は幾重もの生存装置を設け、それぞれの研究対象を分業化したことにより専門性が生まれてきたわけですが、最終的に分業した結果を共有しなければ意味がありません。分業の成果情報を共有化するためには、相互理解と相互信頼が必要であり、そのためには「正確」で「客観的」で「簡潔」な表現が求められます。ここから、共通的表現・書式・構成が自然発生してきたのです。
共通化にも当然ルールがあり、論文でいえば、「客観性に加え、新規性か有用性の少なくとも一つを満たしていること」、「目的・方法・結果・考察・結論の順に書くこと」、「自他を明確に区別し、引用・参考文献を明示すること」、「新たな用語は定義して用いること」、「ページ数の制約内で書くこと」など、表現から書式、構成まで、実に厳格に決められています。
また、文章を短く読みやすくする工夫としては、改行スペースのロスを減らすために、二段組の構成にしたり、図表は四隅に配置したりします。それから先ほどご説明したとおり、論文では漢字熟語を多く用いますが、逆に接続詞などはひらがなを用います。丁寧に書かれた論文は、漢字だけを目で拾っていけば、大体の内容が理解できるようになっているため、あえて接続詞に漢字を用いないことで、読む側は効率的に読むことができるのです。それから学会にもよりますが、「センサ」や「データ」、「コントローラ」など、末尾の長音は省略するのが標準的です。
理工系にこそ高い日本語力を
このような説明をすると、理工系の文章を書くのがとても難しいように思えてきます。しかし、上記で説明した内容は、あくまで書式ですから、誰でも訓練すれば、短期間で身に付けられます。この方法を1回身に付けておけば、後々になって非常に効率的に文章を作成することができるようになります。 理工系の文章表現は、他者に内容を伝えるために、「正確」に「客観的」に「簡潔」に書くための工夫に満ちています。また、理工系は医学や心理学など、異分野との接触も多いため、書式のルールも洗練されています。加えてチームで作業をすることが多いことから、理系の人間にこそ、コミュニケーション能力が求められるのです。
「表現する」ということは、まずはその内容に人に伝える価値がなければなりません。次に表現の手段、そして何よりも、伝えようとする意思が必要不可欠です。これらの要素は足し算ではなく掛け算であり、どれか一つが欠けていても表現は成立しないのです。
以上、科学技術分野における日本語の面白さと難しさ、理工系における日本語力の大切さについてご理解をいただければ幸いです。本日はありがとうございました。
講演者プロフィール
山崎 信寿 氏 慶応義塾大学理工学部教授
1948年東京都生まれ。1976年慶応義塾大学工学研究科博士課程修了。工学博士。 1994年慶応義塾大学理工学部教授。1996年『理工系の日本語コミュニケーション』(丸善)、2002年『科学技術日本語案内新訂版』(慶応義塾大学出版会)、2009年専門日本語教育学会代表幹事。
































