「知識情報社会の今こそ、求められる日本語力・漢字力」 講演録
当協会では、平成22年10月3日(日)に神奈川県で教員・保護者向けセミナーを開催しました(後援:神奈川県教育委員会、横浜市教育委員会、千葉県教育委員会)。文部科学副大臣の鈴木寛氏による講演内容をご紹介します。
第1部 ソフトパワー時代の教育とは 〜言語力の育成が鍵に〜 鈴木 寛 氏
「工業社会」から「情報社会」へ
皆さん、こんにちは。本日は、このような機会を設けてくださり、ありがとうございます。私は政治の道に進むまで、慶応大学湘南藤沢キャンパスで「情報社会学」を教えておりました。昨年9月までは、議員活動の傍ら、大阪大学で「智価社会学」という講座も受け持っておりました。本日は、そうした学術研究・教育活動を通じて蓄積してきた私なりの知見について、お話をしたいと思います。
「情報社会」という言葉は、非常に多義的にとらえられます。英語でいう“data”“Knowledge”“Information”“Intelligence”“Wisdom”などは、日本語だとすべて「情報」に集約されます。皆さんも、「情報」と聞けば、「IT」を思い浮かべる人もいれば、「知識」や「智恵」を思い浮かべる人もいるでしょう。それこそ「情報とは何か」というテーマだけでも、10回くらいは講義できるほど、奥の深さがあります。
「情報社会」に対峙する概念とは何か、私は「工業社会」だと思います。「工業社会」は、人工物を大量に生産し、流通させ、消費し、廃棄する社会です。1700年代後半、イギリスでは産業革命が始まり、アメリカでは独立戦争が勃発し、フランスでは市民革命が起きました。これら一連の革命は、それまで第三階級にあった商工業者(ブルジョアジー)が、貴族や聖職者に代わって政治を取り仕切っていく、そんな革命でした。
世界的な潮流が「工業社会」となって以降を「近代」というならば、「近代」は実に200年以上続いてきたことになります。日本における近代化は、「明治維新」に始まります。イギリス、フランス、アメリカで始まった工業化が、ドイツやイタリア、ロシアへと伝播し、極東へと押し寄せてきたわけです。「さあ、日本はどうするのか」と選択を迫られ、維新を起こして近代国家の仲間入りを果たしました。いわば、日本における近代化革命こそが、明治維新だったわけです。それ以降、日本では大久保利通や伊藤博文が中心となり、国営の「富岡製糸場」や「八幡製鐵所」を作るなどして工業化を進め、それを支える官僚組織や軍隊なども整備しました。
ペリーの来校が1853年ですから、そこから約150年ほどは「近代」が続いてきたことになります。そんな「近代」から今、私たち日本は卒業しようとしています。
「ポスト工業社会」で求められるものとは
「革命」とは何か、それは世の中の価値観、大事にしているものの順序が入れ替わることです。明治維新以降の社会は「富国強兵」が、国や社会の目的でした。つまり、物質を効率的に「生産」し、少しでも多く「所有」することが国力であり、そこに社会資源が注ぎ込まれてきたわけです。そんな価値観が今、「革命」によって覆ろうとしています。
「ポスト工業社会」では、何に価値が置かれるのか、それは「情報」を創り、発信していくことだと私は考えます。「情報」は、工業社会でいう「生産活動」からは生まれません。何から生まれるかといえば、「コミュニケーション活動」から生まれます。人と人とのコミュニケーション、あるいは自分自身との対話の中で、創り出されます。「人工物」から「情報」へ、「生産活動」から「コミュケーション活動」へ、「ポスト工業社会」は、私たちにそうした価値の転換をもたらそうとしているのです。
昨年、日本では政権交代がありました。この政権交代は、これまでのそれとは一線を画します。明治維新以降、日本は富国強兵を標榜し、戦後は「所得倍増」を掲げ、GDPの成長と最大化に力を注いできました。そんな中で、環境破壊や心の病、孤独・孤立など、成長だけでは解決できない課題にも直面しています。
もちろん、必要な成長は遂げていかねばなりません。しかし、「GDPがすべて」でよいのか、それ以外の価値があるのではないかと、考えるべき段階に来ています。近代の「物質偏重主義」からソフトパワーによる「智識文明」の創造へ、そんな価値の転換を象徴するのが、今回の政権交代なのです。
「情報」は人間以外には生み出せません。他の生命、自然界にも多くのヒントがありますが、そこから情報を読みとり、創造するのは人間であり、その営みを支えるのが「教育」です。だからこそ、私たちは21世紀、さらには22世紀の日本社会を見据え、教育政策を議論しています。
「22世紀」と聞くと、ずいぶんと先の話に聞こえるかもしれません。でも、考えてみてください。今、日本の女性の平均寿命は約86歳です。今後、医学が発展し、三大疾病の死亡率が下がれば、90歳を超えるともいわれています。つまり、今生まれた子どもは、世紀をまたいで2100年くらいまで生きるかもしれないのです。その意味でも、教育政策は2050年、2060年という先を見越して、立てていく必要があります。
「ポスト近代」の到来による価値の転換
「ポスト近代」の社会で、重きが置かれるのは「美」や「慈悲」です。もちろん、「富国」もまだ大切ですが、価値の重点は人間の「尊厳」や「友愛・共生」へと移行していきます。大量生産、大量消費、大量廃棄ではなく、この世に一つしか存在しない「知恵」や「文化」を創造していく、そしてそれを支える「コミュニティ」「共生」「連帯」「協働」「友愛」などを大切にしていくことが、21世紀あるいは22世紀の課題だと認識しています。
「近代」は、イギリス、アメリカ、フランスから始まり、欧米諸国がイニシアチブを握りました。しかし、「ポスト近代」は、どの国も同じスタートラインに立っています。どの国よりも早く経済大国主義を卒業し、日本人や日本社会がそのイニシアチブを握って新たな人類史を創造していく、それが我々の目標であり夢でもあります。
黒船の来航以降、日本では「資源・エネルギー」や「技術・人工物」が重んじられてきました。今、それに取って代わるのが“Life”であり“Nature”です。“Life”は「生命」とも訳せますし、「人生」とも「生活」とも訳せます。また、「富国強兵」「経済成長」に置かれていた社会的価値は、「健康長寿」や「友愛」へと転換します。そして、「ハード」や「物質」に置かれていた価値は、「ソフト」や「情報」に転換します。
要するに、幸せな人生、良き家族、良き友に恵まれながら、長く健康に生きられる社会を目指すわけです。もちろん、最低限の「衣」や「食」は必要ですが、これが足りた上で目指すのは「飽食」ではなく「友愛」です。
パナソニックの創業者である松下幸之助氏は、“PHP(Peace and Happiness through Prosperity)”、「繁栄によって平和と幸福を」という言葉を遺しました。私は松下氏が大好きで、もし今ご存命なら、“PHC”と言ったのではないかと勝手に想像しています。“PHC”は、“Peace and Happiness through Communication, Collaboration, Creation & Culture”の略です。「繁栄」によってもたらされていた「平和」や「幸福」が、「コミュニケーション」「協働」「想像」「文化」という四つの“C”によってもたらされるのです。
もちろん、経済活動は引き続き重要です。しかし、その優先順位は、少なからず変わっていきます。順位の高かった「経済」や「産業」は、「出産」「育児」「医療」「介護」「学習」「交流」などにその位置を譲り、「生産」「流通」「消費」「廃棄」を繰り返してきた社会は、「つながり」や「交流」「協働」「創造」「文化」などを中心とした社会へと移行します。「徴税」「徴用」「徴兵」などを通じ、国家総動員で「国富の増大」を目指していた体制は、人々がコミュニティへ自立的に参画・貢献していく体制へと変化していきます。そして、近代合理人が利己的に利益を追求してきた社会から、子々孫々の生存と幸福を追求する社会へと変わっていくことでしょう。
コミュニティを創り出す力を育む
マイケル・サンデルという学者らが提唱する「コミュニタリアン」という政治哲学のグループがあります。実は私も、「リベラル・コミュニタリア」のグループの一人なのですが、この思想の根幹は、「コミュニティ」を復活させ、その構成員共通の「善」、あるいは「公共善」を考えて生きていくことです。
「コミュニティ」と言うと、昔の地縁型共同体をイメージする人も多いでしょうが、それだけではありません。共通の価値観や趣味、ライフスタイルなどで結ばれた「テーマコミュニティ」があります。「地域コミュニティ」は、どこで生まれたかによってコミュニティを変えることができませんでしたが、「テーマコミュニティ」は、自由に変えることもできれば、仲間と共に創り出すこともできます。一人ひとりにそうしたコミュニティを創るための能力を授け、チャンスを与えることが、ポスト近代社会における国や社会の責務です。
ノーベル経済学賞を受賞した学者のアマルティア・センが「ケイパビリティ」と言っていますが、これは「生きたい人生を生きる力」と訳せます。「生きたい人生」を生きるためには、ノーベル賞を取るにせよ、スポーツ選手になるにせよ、さまざまな能力を身に付けねばなりません。そうした能力を獲得するチャンス、学ぶ機会をきちんと保証していくことが、ポスト近代社会には求められるのです。
近代は、物質を作り貯めること、すなわち物質至上主義の「唯物論」の社会でした。それは、資本主義側も社会主義側も基本的に同じでした。しかし、これからは文化多元主義社会、多様な価値を認め、尊重しあうことが求められます。
「ポスト近代」に求められる人間像
近代は、工場労働におけるオペレーションを正確かつ高速に行うことができる人間を育てることに、重きが置かれてきました。毎朝休むことなく8時に工場へ来て、ベルトコンベアーの前に並び、マニュアル通りの単純作業を正確かつ高速に行う。それが、労働者に求められる能力でした。そして、反復作業を正確にこなせる人こそが、工業社会における「優秀な人材」だったわけです。その点で日本の教育は大成功を収め、1970〜80年代には奇跡的な経済発展を遂げ、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれるまでになったのです。
しかし、時代が変わり、反復作業はコンピュータが行うようになりました。1から100をコピーする作業において、コンピュータは完璧です。日本人が99%の正確さを誇っても、コンピュータには敵いません。では、人間が行うべき仕事とは何なのか、それは0から1を生み出すことです。
これからの社会は、創造的かつ協働的に、この世に一つしかないものを生み出すことが求められます。すなわち、一人ひとりがクリエイティブなアートワーカー、あるいはアーティストになる必要があるのです。もちろん、最低限の「暗記力」や「反復力」は必要ですが、一番求められるのは「創造力」です。その土台となるのが、「コミュニケーション力」と「判断力」で、これをすべての子どもたちに授けていかねばなりません。
「判断力」における、判断の基準は「真・善・美」です。何が真実で、何が正しく、何が美しいかを判断できる力を指します。
「真・善・美」のうち、「真」には正解がありますが、「善」と「美」には正解がありません。共通解がない中で、「判断」するためには、互いに言葉を交わし、コミュニケーションする力が求められます。そうした対話から、「判断」がなされ、協働が育まれ、創造活動が生まれるのです。
日本人は「真」を判断する力には長けています。しかし、「善」と「美」を判断する力は不足しがちで、それを培っていく上でも、「コミュニケーション力」を育むことが課題となっています。そうした認識のもと、平田オリザ氏を座長として、「コミュニケーション教育推進会議」を設置し、議論を重ねて来ました。
ハイブリッドな機能を持つ「日本語」の素晴らしさ
人と人とのコミュニケーションを媒介するのは、「言語」です。日本人なら「日本語」を思い浮かべるでしょうが、それだけではありません。「数学」は機械や道具とコミュニケーションするための「論理言語」ですし、プログラムを構築するための「コンピュータ言語」もあります。さらには、俳句や短歌など「感性言語」と呼ばれるものもあります。
いずれの言語も重要ですが、核となるのは、自然言語である「日本語」です。これをきちんと習得・理解していることが、実は数学を使って機械を作る上でも、コンピュータプログラムを操る上でも重要なのです。
私たちは日本語という極めて特徴的な言語を先祖から授かりました。この幸運は、感謝してもし過ぎることはありません。日本語の優れた点は、私の理解が及ばない領域も含め多々ありますが、ここでは一つだけお話をしたいと思います。
日本語には漢字と仮名の二つが入り交じっていますが、これは世界的にも希少です。漢字は「表意文字」で、一つの字が「意味」を表します。一方で、仮名やアルファベットは「表音文字」で、一つの字が「音」を表します。「表意文字」にも「表音文字」にも長所と短所がありますが、日本語は両方の長所を生かした、ハイブリッドな言語なのです。
「表意文字」は、一つ一つの字が意味を持つので、情報の伝達・把握という点で効率的です。絵本などを読むと、仮名ばかりで読みづらく、ストレスを感じます。仮名の中に適度に漢字が交ざることで、文章が短縮・圧縮され、効率的に文脈を理解していくことができるのです。
では、すべてが漢字になったらどうなるのでしょうか。
私たちの身の回りには、数多くの外来語があります。日本では、この外来語を「コンピュータ」「インフォメーション」「マクドナルド」など「表音文字」であるカタカナで表記することで、すぐに文化の中に取り入れ、議論することができます。
一方で、中国では「表音文字」がないため、すべての外来語に漢字を当てはめる必要があります。例えば「コンピュータ」は「電脳」といった具合にです。しかし、これを国民が共通に理解し、文化として取り入れるまでには、相当な時間がかかります。
日本人は昔から「和魂漢才」、最近は「和魂洋才」と言われ、外来の発明や文化を上手に取り入れ、咀嚼・再構成して、オリジナルよりも優れたものを創り出してきました。これは、仮名という「表音文字」を持っていたことと、無関係には語れません。
文明や文化の特徴というのは、その国や民族が持つ言語と、深い関係があります。「表意文字」しかない中国と、「表音文字」しかない欧米にも、その影響は色濃く表れています。「表意文字」は目から入り、「表音文字」は耳から入りますが、私たち日本人はその両方のセンサーを巧みに操り、物事を把握しています。それは、日本人の認識の構造、さらには脳の認知構造すら決めていると言っても過言ではありません。
日本の漫画やアニメはなぜ強いか
今から10年ほど前、マサチューセッツ工科大学の研究室が主催する子ども対象のワークショップに参加したことがありました。その時、数あるブースの中で私が一番人気でした。その理由は、「ポケモン」のキャラクターと出会えるからです。
当時、ボストン中の小学校では、「ピカチュウのポケモンカードを学校に持って来てよいかどうか」が、議論となっていました。そのくらい、「ジャパニメーション」はボストンの子どもたちの心をとらえて離さなかったのです。近年、フランスでは小中学生の日本語熱が高まっていますが、その理由は「日本の漫画を原書で読みたい」からだそうです。
なぜ、「漫画」や「アニメ」などの領域で、日本がこれほどまで強いのか、そこには明確な理由があります。日本漫画の原点は何か、それは葛飾北斎の『北斎漫画』です。そして、『北斎漫画』の原点は何かというと、『源氏物語絵巻』です。つまり、日本人は約1300年以上も昔から、絵と文字が一緒になった書物を作り、人々が親しんできた歴史を持っているのです。だからこそ、日本の漫画やアニメは、世界最高水準のクオリティを誇り、世界各国の子どもたちの心をとらえて離さないわけです。
「コミュニティ」に参加し、創造する力が人生を豊かにする
日本では2006年に教育基本法が改正されました。当時、野党であった我々民主党も、その対案を示し、その中で「インターネット等を利用した仮想情報空間に置けるコミュニケーションの可能性、限界及び問題について、的確に理解し、適切な人間関係を構築する態度と素養を習得するよう奨励されるものとする」と示しています。つまり、次代を生きる子どもたちは、ネット等の仮想情報空間を否応なしに生きていかねばならず、その意味でもなるべく早い時期に「良いもの」と「悪いもの」を的確に判断できるようにしてやる必要があるというわけです。また、「文化的素養を醸成し、他者との対話、交流及び協働を促進する基礎となる国語力を身につけるための適切かつ最善な教育の機会を得られるよう奨励されるものとする」とも示しています。
「コミュニケーション」を媒介するものは「言語」です。これからの時代は、どれだけの言語を身に付けられるかが、どれだけのコミュニティに参画し、創れるかににつながっていきます。そして、それは人生の豊かさにもつながっていくのです。
例えば、「音楽」における言語は「楽譜」です。その“Speak”が「演奏」であり、“Listening”が「鑑賞」になるわけで、読み書きができれば、どこの国の人とも音楽を通じたコミュニケーションができます。たとえ、お互いの言葉が通じなくても、双方が楽譜を読むことさえできれば、オペラの曲を合奏することだってできるのです。こうして、音楽を通じた「コミュニティ」も形成されます。
化学記号や周期表という言語・文法を理解していれば、「化学コミュニティ」が形成され、数学や数式を理解すれば「数学コミュニティ」も生まれます。そうして多くの言語を持ち、受信・発信していくことができれば、それが“Peace and Happiness”につながっていくのです。
これからの日本に求められる三つの人材像
最後に、これからの日本に必要な人材像として、三つ挙げたいと思います。
一つ目は、「人類に新たな価値を創造できる人材」です。科学技術、芸術・文化、スポーツ、経営、医療など、どの分野・領域でも構いませんが、この世にないものを創造し、イノベーションする力、そのチームの一員として参画する力です。
そうした実績を残すためには、多分野にわたる教養が求められます。かの湯川秀樹博士は、兄に貝塚茂樹氏という中国史研究の大家を持ち、父には小川環樹氏という、日本一の漢文学者がいました。そうした家庭に育ち、東洋の文化にも精通していたからこそ、豊かなコミュニケーション力が身に付き、それが数学・物理領域でのインスピレーションを生んだのです。北京にある精華大学の工学部で教鞭を執る私の友人は、中国の古典にも驚くほどの教養を持っています。それだけのバックグラウンドがあるからこそ、専門的な付加価値を創出し、優れた研究成果を残せるのでしょう。
二つ目は、日本が創造した価値を「アジアをはじめとする諸外国の人たちとコラボレーションして広げていく人材」です。これまで、日本はさまざまな価値を創造してきました。今後は、そうした技術の中でも医療や省エネ技術、まさに「健康」「長寿」「友愛」「環境」といったテーマを中心に、アジアや中東、アフリカなどの諸国に広げていく必要があります。ミサイルや武器などを輸出するのではなく、世界中の人々に「平和」と「幸せ」に貢献するものを広めていくわけです。
そして三つ目は、「世代や立場を超えてコミュニケーションできる人材」です。今後、「医療」や「介護」などの社会的需要が増え、若者が就業する機会も増えます。そんな中、必要とされるのは、世代を超えてコミュニケーションする力です。22歳の看護師が、85歳の末期ガン患者を受け持つなどのケースは、今後さらに増えていくでしょう。そんな時、若い看護師が2世代ほども歳の離れたお年寄りの気持ちを受け止め、人生のフィナーレを充実したものとなるようお手伝いをすることが、これからの医療人材には求められるのです。すでに、大阪大学でも医師のコミュニケーション力育成に関するプログラムが作られているところです。
こうした人材育成の鍵となるのが、「言語力」です。今後、あらゆる社会的要請から見た時に、コミュニケーションを媒介する言語、そしてその中核をなす日本語をきちんと次の世代に受け継いでいく必要があります。伝統は「守・破・離」ですから、まずはそれを守り、新しい時代の中で少しずつ破り、新しい日本語を再構築していくことで、日本の伝統がさらに進化していくのです。そうして、1300年にわたって引き継がれてきた日本語の「命」は、永遠なるものになっていくのでしょう。本日は、ご静聴ありがとうございました。
講演者プロフィール
鈴木 寛 氏 文部科学副大臣
1964年兵庫県生まれ。東京大学法学部卒業後、通商産業省に入省。中央大学講師を経て、1999年慶應義塾大学環境情報学部助教授に就任。灘中学校・高等学校の情報科教諭も務める。2001年参議院議員に初当選し、2期目。昨年9月鳩山内閣にて文部科学副大臣に就任、今年6月に菅内閣にて再任された。
































