公益財団法人 日本漢字能力検定協会

基礎学力を考える 企業トップインタビュー

中外製薬株式会社

永山 治 氏

取締役社長 永山 治 氏

1947年生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、1971年株式会社日本長期信用銀行に入行。1978年中外製薬株式会社に入社。その後、開発企画本部副本部長、常務取締役、代表取締役副社長などを経て、1992年より現職。

1.「目的を考える力」を鍛えてもらいたい

 ありがたいことに、毎年数多くの優秀な学生が当社を志望してくれています。新卒採用時の適性試験では、いわゆる「基礎学力」に関する出題もしています。その結果を見ていると、若い人たちの知識の総量が落ちているとは感じません。
 一方で、「社会に出たあとに自分は何を成し遂げたいのか」については、もう少し考える必要があると感じます。就職活動に際して「どの会社に入りたいか」を考え、「社会で成し遂げたいこと」が抜け落ちている人もいるようです。理系出身の学生の場合は、専攻分野に絡めて「こんな開発をしたい」「こんな治療薬を作って難病の人を救いたい」等のように、成し遂げたいことがある程度はっきりしているケースもありますが、総じて「生きる目的」や「働く目的」を十分に考えていない学生が増えているように感じるのです。
 例えば、「安定しているから」という理由で、当社と大手都市銀行を併願している学生がいます。そういった学生からは、「社会のこんな課題を解決したい」「こんな分野で自分の力を発揮したい」といった意志や思いが見うけられない場合もあり、それよりも、「初任給はいくらか」「福利厚生はどんなものがあるのか」といった点に関心が払われている傾向があると感じます。
 かく言う私も、かつては銀行に勤め、その後当社に転職をしました。ただし、私の中には「グローバルな舞台で自分の力を発揮したい」という、強い思いがありました。一見無節操な併願であっても、そこに一貫した自分の意志や思いがあれば良いのです。むしろ、そういう学生にこそ期待したいと、私は感じます。

 また、入社した後も「他人と議論しながら結論を導き出す」「必要な人に必要な情報を報告・連絡・相談する」というような場面での対応が、非常に苦手な若者がいます。知識量は増えていても、人と接する場面になるとそれを発揮できない。つまり、もっと対人能力を鍛える必要があると思います。そんな若者の様子を見ていると、「なぜ議論をしなければならないのか」「なぜ周囲の人に報告・連絡・相談をしなければならないのか」を理解していないようにも感じます。

 これらのことから思うのは、若者の「目的を考える力」が十分に鍛えられていないのではないかということです。目的を誤ると、行動も結果も誤ることになります。多くの人が目的を見失った社会の有り様を想像したとき、私は危機感を覚えるのです。

2.社会で求められる「関心力」「思考力」 ~ それを育む「読書・要約作文」訓練

 「目的を考える力」とは、どのような力でしょうか。目的を考えるためには、まずはその物事に関心を持たなくては始まりません。次に、その物事を自分はどう捉え、それにどう関わっていくかなどを考えることが必要です。社会で求められる「基礎学力」として、この「関心力」と「思考力」は欠かせない要素だと考えます。

 私は、青少年の「関心力」「思考力」を育むために、欠かせない訓練があると思います。それは、本を読み、内容を要約し、さらに自分の考えを文章に書くという訓練です。
 世界を舞台に活躍するグローバル人材を多数輩出している学校では、この訓練が相当高度なレベルで行われているようです。例えば、英国の寄宿舎学校では、13歳から親元を離れて寮生活が始まり、自律した行動が求められるようになります。指導例を挙げれば、英語(つまり母国語)の読み書き能力を高めるために、作家サマセット・モームの分厚い本を読破させ、2000語程度の要約文にさせるといった訓練を、日常的に繰り返し行っているそうです。教師の負荷も相当なものだと思いますが、量を減らそうという議論にはならないそうです。世界に伍していくリーダーを育てようという矜持なのかもしれません。私も、企業役員を務めている英国人の知人から手紙をもらうことがあるのですが、論理性が高いだけではなく、ウィットに富んだ味わい深い表現が散りばめられていて、敬服することがあります。名門校の教育力の賜物ではないでしょうか。

 こういった訓練を少年期からおこなっている世界のリーダーと渡り合えるグローバル人材の育成が、日本においても急務だと考えます。記憶力や知識量を競うのではなく、「関心力」や「思考力」を訓練する教育が求められているのではないでしょうか。

3.読書の効能

永山 治 氏 現代社会においては、読書は知識の収集のために行うものではないと考えます。インターネットがこれだけ広まった社会では、必要なときに世界中の情報にアクセスできますので、読書するよりも効果的に知識を収集できます。小学生でも大学教授でも、探し方さえ心得ていれば、獲得できる知識量には大差のない時代といえます。
 ところが、論理を形成する力、すなわち「関心力」や「思考力」を高めるには、読書以外にはありません。インターネット検索では点の情報のみしか発見できませんが、名著の多くには作者が全身全霊をかけて紡ぎ出した社会観・人間観・歴史観・文化観が詰まっています。読書を通じて、人が紡いだ大局的な思考プロセスの結晶を体感することによって、物事への「関心力」や優れた「思考力」が養うことができるからです。

「子どもが名作を読まずに、好きな本ばかり読んでいる」と嘆く保護者や先生もいらっしゃるようですが、少し気長に楽観的に構えていても大丈夫ではないでしょうか。子どもの頃は、子ども自身が本能的に好きだと感じる本を、自由に読ませてあげれば良いと思います。人の成長スピードは人それぞれに異なります。少年期から大局的に社会や歴史を描いた大作に興味をそそられる人がいる一方で、青年期になってから開眼する人もいるでしょう。
 私が「子どもにどのような本を読ませたいか」と問われれば、歴史ものや伝記ものをお奨めしますが、史実をかいつまんで説明しているような、年表的な作品は避けた方が良いと思います。歴史のその瞬間に、社会がどう変化し、人は何を感じ、どう行動したか、といったことを深く掘り下げた作品こそが、「関心力」「思考力」といった「基礎学力」の向上に役立つと考えるからです。

4.作文の効能

 こうした、読書によってある程度の「思考力」は鍛えることができますが、さらに「思考力」を高めるためには、文章を書くことが必要不可欠であると考えています。
 身近な例を挙げると、お酒を飲んで酔っているときには、意外と様々なアイデアが思い浮かぶものですが、その場での考えに留まり、後刻そのことを実現することは極めて稀でしょう。しっかりと煮詰められているわけではなく、構造化もされていないので、「夢(ドリーム)」で終わってしまうのだと思います。逆に、素面の時に冷静に煮詰め、構造的な文章に落としたプランは、「展望(ヴィジョン)」として具現化するケースが少なからずあるものです。
 「思考力」を鍛えるには、自分の考えやアイデアを、文章に書くことが必要不可欠です。全体の構造を考え、論理を形成することなくして、文章を書くことはできないからです。そのための土台として、読み書き、計算や歴史・文化の理解などの「基礎学力」が必須なのです。

 ITが普及し、文字によるコミュニケーションの場面は増加しています。しかし、その場面で多用されるのは、極めて短い簡略化された文章がほとんどだと思います。私も携帯メールを時々使いますが、漢字や語彙を吟味して選択しながら、構造的に長い文章を打つという作業は相当に骨が折れます。論理的な文章を打つには非常に使いづらいツールであり、基本的にはワンセンテンスで済ませるためのツールなのでしょう。非常時や緊急時にひとこと何かを伝えるといった場面では大変重宝すると思いますが、日常的にワンセンテンスのみを使い続けていると、「思考力」はむしろ奪われてしまうのではないかと危惧しています。逆説的にいえば、このような社会環境下で青少年の「思考力」をつけさせようと思えば、意図的に長文を書く機会を増やしてあげることが必要になるのではないでしょうか。

5.個性を育み生かすためにも「基礎学力」は必須

 先ほども述べましたが、人の成長スピードは様々であり、社会・人間・歴史・科学といったものに少年期の早くから関心を持つ人もいれば、青年期までかかる人もいるでしょう。個々人がやりたいこと、すなわち「社会のこんな課題を解決したい」「こんな分野で自分の力を試してみたい」ということを自覚するタイミングも、やはり人それぞれです。したがって、個々人の個性を伸ばし生かすための大切なポイントは、やりたいことが見つかった時にそれを深められる基礎能力を持っているかどうかです。
 やりたいことを見つけるためにも、やりたいことを深めるためにも、「関心力」と「思考力」というふたつの「基礎学力」は重要な要素になると思います。ある物事に関心を持ち、思考を深めることで、新たな発見があるでしょう。その新たな発見にさらに関心を持ち、思考を深めていく。この絶え間ない探求によって、個性は育まれ、生かされていくのです。
 やりたいことが見つからない苦しさよりも、やりたいことが見つかったのに佇んでいるしかない苦しさの方が何倍も大きいと思います。全ての子どもや若者に「基礎学力」を身につけさせ、将来苦しまないようにすることが、大人や社会の責任ではないでしょうか。


※掲載内容(所属団体、役職名等)は取材時のものです。

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