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基礎学力を考える 企業トップインタビュー

株式会社クラレ

和久井 康明 氏

代表取締役会長 和久井 康明 氏

1942年生まれ。1965年東京大学経済学部卒業後、同年株式会社クラレ入社。東京事業所 広報部長、人事室人材開発部長、人事室人事部長、人事室長、総務部担当 法務部担当 知的財産部担当 人事部担当委嘱、常務取締役、代表取締役社長等を歴任後、2008年より現職。

1.「学齢期にしか身につけられないこと」こそが「基礎学力」

 『国家の品格』等の著者として知られる藤原正彦氏が師と仰ぐ、小平邦彦(故人)さんという数学者がいます。この方は、日本で初めて数学界のノーベル賞とも言われるフィールズ賞を受賞した方ですが、彼はその著書の中で、人間の知を次の3つに分類しています。

(1)子どもの頃にしか身につけられない知
(2)ある程度の年齢に達してから教えれば子どもの時より簡単に身につけられる知
(3)学校などでわざわざ教えなくとも身につく知

 大学や社会に出る前の「学齢期にしか身につけられないこと」、即ち上記の(1)こそが「基礎学力」だと考えます。これは最優先で教え込むべきであり、且つ全員に定着させる必要があるものだと思います。具体的な代表例を挙げると、以下のようなものが考えられると思います。

「母国語の読み書き」
「ソロバン(計算)」
「没入する力(集中力)」
「継続的に読書をし続ける力(読書習慣)」
「自分を信じる力(自己肯定感)」など

 (2)の代表例としては、「目玉焼きの焼き方」や「雑巾の縫い方」等が挙げられると思います。また、(3)の代表例としては、「楽しく食事をする」「友達と歓談をする」等といったことがこれに該当します。
 ある程度の年齢になってからでも間に合うことや、必ずしもしなくても良いことに時間を割き、「学齢期にしか身につけられないこと」が疎かになってしまっては本末転倒です。

2.特に小学校では「母国語の読み書き」を重視すべし

 戦前、日本の小学校は「母国語の読み書き」を最重視し、「国語」に多くの授業時数を割いていました。しかし、戦後は他教科の増加に伴って減少の一途を辿り、現在は戦前の約半分ほどになっています。「算数」の時数も少なく、先進国の中でこれほど「読み書き計算」を軽視している国は、他にありません。
 背景には、教育が多様化した社会の変化を追い求めすぎていることが挙げられるのではないでしょうか。もちろん、「料理を作る」「雑巾を縫う」などのスキルも生きていく上では必要ですが、初中等教育段階、少なくとも小学校段階では「母国語の読み書き」を最優先し、集中的に教える必要性が高いと考えます。これは全ての人にとって、社会生活を送る上で必要不可欠の能力だからです。さらに、獲得してすぐに日常生活で役立つ上に、成長とともに活用する機会が増えていくものでもあります。そして、最も重要なこととして、発達の臨界期を超えると容易に習得できなくなる能力でもあるのです。
 学習指導要領には、各学年修了までに身につけるべき漢字が規定されています。全中学生の約90%、全高校生の約99%が、それらの漢字の活用力を身につけられていないというデータを聞いたことがあります。その背景には、早い段階から広い範囲の多くのことを教えすぎるという問題があるのではないでしょうか。まさに本末転倒な話であり、私は強い危機感を覚えるのです。最も大切な「母国語の読み書き」の教育に時間を割き、残りの時間でその他の教育の時間をやりくりするという、時間管理の工夫が求められていると思います。

3.「集中力」と「読書習慣」を培うために

和久井 康明 氏 早いうちに是が非でも身につけて欲しい能力として、「没入する力(集中力)」と「継続的に読書をし続ける力(読書習慣)」も欠かせません。この2つの能力も、大人になってから身につけようと思っても難しいものです。
 私は小学校低学年の頃、学校の図書館にあった絵本を、先生に名前を呼ばれても気付かないほどにのめり込んで読みふけりました。そうして培った「集中力」と「読書習慣」は、後に社会人となってからも大いに役立ちました。私が子どもだった頃は、それだけの時間的な余裕もあり、自律性を発揮する余地もあったのだと記憶しています。
 昨今の子どもたちは、小さな頃からあまりに広い範囲のたくさんのことを教え込まれているように感じます。それに加えて、家庭に帰ってからも塾や習い事をこなさねばならず、自律性を発揮して何かに「没入」する時間が奪われていると思います。
 社会が複雑化し、幅広い知識や技能が求められる側面があるのかもしれませんが、少なくとも初中等教育の頃には、あまり多くの事柄を教えようとせず、子どもたちが自ら選択した何かにじっくりと向き合える時間を作ってあげた方がよいのではないでしょうか。「読書習慣」というものも、自分の好きな分野の書籍や連作シリーズを自分で探し出し、それに「没入」して読みふけるうちに身につくものであり、他律的には中々身につかないものだと思うのです。

 私個人が、採用面接において重視すべきだと考えているのは、「母国語の読み書き」「計算」等の「基礎学力」と、「集中力」「読書習慣」、そしてこうした力から紡ぎ出される「思考力」です。「考える力」は、仕事を進めていく上での原点になります。
 「経営の神様」と呼ばれる実業家の松下幸之助氏は、小学校をわずか4年で中退し、丁稚奉公に出されたそうです。そんな彼が、一代で松下電器産業を興すことができたのは、戦前の「母国語の読み書き」を中心とした教育課程により、「基礎学力」が叩き込まれていたからに他ならないと考えています。彼の独創的なアイデアや経営哲学も、「基礎学力」を土台とした「思考力」から生み出されているのです。

 「思考力」を養うためには、何よりも読書が効果的です。小学校低学年の頃、私は病気をして1ヵ月ほど学校に行けない時期がありましたが、その間、知り合いの中学生が貸してくれた本を読んで過ごし、そのおかげでたくさんの漢字や語彙を覚えました。本を読む習慣も、なるべく初中等教育の早いうちに身につけてしまうことが大切だと思います。
 昨今は、物事を深く考えない人が増えてきたように感じていますが、その背景には、読書量の減少とテレビやインターネットなどのメディア視聴時間の増加があるのだと思います。もちろん、「テレビを見るな」「パソコンを使うな」とは言いませんが、必ずしも良い番組やサイトばかりではありません。物事をよく消化しないまま、直感で発言をするコメンテーターや、思いつきを書き込んでいるWebページも目につきます。
 テレビやネットの知識は、子どもたちにも多大な影響を与えます。表現の自由を奪うことは許されませんが、私たち企業が視聴率にとらわれず、優良と思われる番組やサイトを選んでスポンサーになるなど努力していく必要もあると考えています。

4.「自己肯定感」は大人が責任をもって持たせよう

 「基礎学力」を徹底して身につけるという訓練は、子ども達にとっては時に辛く苦しいこともあるでしょう。そんな時、保護者や教員といった身近な大人から認められたり励まされたりすることは、極めて重要です。それが、「自分を信じる力」つまり「自己肯定感」を醸成する唯一の方法だからです。

 先述の松下幸之助氏をはじめ、歴史に名を刻む偉人の多くは、「自分は必ず成功する」という「自己肯定感」を持っていたそうです。彼らの大半が、親や師から「あなたは強運の持ち主」「あなたは何でもできる」と言われ続け、強く「自己肯定感」を持つよう育てられていたという事実は、偶然の一致ではないでしょう。自分を信じていれば、一見不可能かと思えるようなことにも、意欲的にチャレンジすることができます。だからこそ、歴史に足跡を残すような偉業を成し遂げることができたのです。
 小さなことでもよいので、自分で目標を立て、それに向かって努力し、達成する。そんな「成功体験」もまた、発達の臨界期を迎えるまでに、たくさん積み重ねてほしいと思います。そして、周囲の大人たちは、その小さな成功を心から褒めてやることが大切なのだと思います。

5.若者の「基礎学力」向上のためすぐにでも行うべき施策

 日本では、各学校段階に相応しい学力を得られないまま、次のステップへと進んでしまう人が少なくありません。その結果、特に高校や大学では授業についていけない人が増え、学歴は既に形骸化していると言えるでしょう。
 諸事情により高校を卒業できなかった人が、大学を受験するための資格として「高等学校卒業程度認定試験(通称、大検)」がありますが、私はこれと同様の「高校卒業までに身につけておくべき基礎学力の有無を問う資格試験」を、すべての大学受験者に課すべきではないかと考えます。課すべき科目は、国語・数学・英語等の基礎科目のみで、且つ平易なもので構わないと思います。
 高校卒業予定者の半数以上が大学を受験するという今の実情を考えた時に、その全員に一斉に試験を実施することは現実的ではないというのであれば、各大学が現行の入学試験における合格点の最低基準を定め、たとえ定員割れを起こしても、そのラインに達しない者は合格させないなどの断固たる措置も必要です。あるいは、漢検や英検、数検などの資格検定のしかるべき級の取得を、その代替評価手段として認めるのも一法かもしれません。これらの施策の導入が一朝一夕に進まない場合は、今すぐにでもできる事として、大学側がアドミッションポリシーの最低限の要求として、受験者に対して上記のような資格の取得を求めることも勧めたいと思います。
 いずれにしても、高校を卒業するまでに習得すべき「母国語の読み書き」「計算」が身についているかどうかを確認した上で、大学の入学資格を与えるのが筋だと思うのです。高等学校への進学率が98%を超え、義務教育と近しい数値になっている今、大学の入口時点において、何らかの超えるべきハードルを課すことが急務だと考えます。


※掲載内容(所属団体、役職名等)は取材時のものです。

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