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基礎学力を考える 企業トップインタビュー

帝人株式会社

興津 誠 氏

顧問役 興津 誠 氏

1939年生まれ。1963年東京大学経済学部を卒業後、同年帝人株式会社に入社。企画部、海外事業部などを経て、1984年帝人製機株式会社に出向。その後、同社代表取締役社長、ナブテスコ株式会社代表取締役社長などを務めるとともに、帝人株式会社取締役(非常勤)、帝人グループ上席専務執行役員などを歴任し、2005年6月帝人株式会社代表取締役会長 兼 ナブテスコ株式会社取締役会長。現在は帝人株式会社 取締役会長 兼 ナブテスコ株式会社相談役。2008年6月より帝人株式会社顧問役。

1.「基礎学力」は二つの視点で切り分けて考えるべき

 昨今、子どもの「基礎学力」の低下が指摘されています。最低限身につけるべき学力としての「基礎学力」を考える場合、私は二つの視点に切り分けて考える必要があると思います。ひとつは「全ての国民に必要な基礎学力」という視点、もうひとつは「リーダー人材に必要な基礎学力」という視点です。個人的には、大学以降の高等な教育を受け、国や社会の先頭に立っていく「リーダー人材」となる人の比率は、およそ2割程度ではないかと感じています。同じ「基礎学力」と言っても、それぞれの視点で求めるべき内容や水準が異なるはずだと考えます。
 例えば、ある一流大学の准教授を務めていらっしゃる方が、雑誌の中で「役不足」という言葉を間違って使っていらっしゃるのを読んだことがあります。確かに間違いやすい慣用句ではありますが、この方には「リーダー人材に必要な基礎学力」が不足していると言わざるを得ません。一方で、一般の方が「役不足」を誤用したところで、それは笑い話で済むでしょう。「全ての国民に必要な基礎学力」には当てはまらないということです。日本を代表するような大学の准教授の方がそうした間違いをするということに、私は危機感を覚えるのです。

2.「全ての国民に必要な基礎学力」について

 「全ての国民に必要な基礎学力」は、主に以下の4つだと考えます。

(1)「読み書き計算」
 まず何をおいても「読み書き計算」であることには異論がないでしょう。詰め込み教育への反省から、反復練習を軽視する風潮もあるようですが、「読み書き計算」能力を養う上で、繰り返しの訓練が必要なことは言うまでもありません。
 今の子ども達は、人とコミュニケーションをとるのが苦手とよく言われますが、私はその要因の一つに「語彙力」の不足があると思います。私たちが子どもの頃は、漢字の書き取りなどは授業で繰り返し練習させられましたし、宿題にも出されました。また、家族の人数も多く、近所づきあいも活発だったので、子どもが大人と会話する機会も豊富でした。今の子どもはそうした機会に恵まれないのですから、なおさら反復訓練を繰り返すなどして、徹底的に「語彙力」を鍛えてあげる必要があります。こうした能力は、初中等教育はもちろん、高等教育、ひいてはどのような職業に就いた後も、必ず求められるからです。

(2)「基礎体力」
 何事を成すにおいても、「基礎体力」が必要なことも間違いないでしょう。「文武両道」という言葉があるように、「読み書き計算」で得た知識や知恵を行動に移すことが大切です。「基礎体力」が無ければ、行動を起こすことができません。クラブ活動などを通して、スポーツに親しむと良いでしょう。

(3)「習い事」
 勉学とスポーツ以外に、なにか「習い事」をすることも重要だと思います。それが、美しいもの(芸術)に触れる機会になるからです。
 私自身は幼い頃から観世流の謡と仕舞いを習う機会に恵まれました。私はそこで美に触れると同時に、基礎基本はどの世界においても大切であるということも学びました。謡・仕舞い・歌舞伎などの日本の古典芸能の世界でプロの道へと進む人は、小さな頃から反復訓練を繰り返し、10代のうちにすべての「型」を覚えてしまうそうです。演者が「個性」を発揮して一流と呼ばれるのはずっと先のことですが、一流と呼ばれる誰もが早いうちに「型」というベースを身につけています。「個性」は「型」の上に成り立ちます。「守・破・離」という言葉にもあるように、まずは先人の築き上げてきた「型」を「守」ることから全てが始まるのです。
 これは学力においても同様です。まずは反復訓練によって「基礎学力」を身につけていなければ、大学以降の高等教育の内容を体得することは不可能でしょう。例えば、中学・高校時代にいじめられて不登校に陥り、そのまま大工職人になった人が、知人の勧めで大学入学資格検定を受け、最終的に大学の博士課程まで進んで高校教師になったというエピソードを聞いたことがあります。その人は小学校時代、必ず予習・復習を欠かさなかったそうです。小学校時代の「基礎学力」がきちんと身についていたからこそ、新たな人生にチャレンジすることができたのだと思います。

(4)「畏怖する心」
 神仏、神秘などの存在に対して「畏怖する心」を持つことも、大切な要素だと考えます。これがない人は、傲慢で自信過剰になりがちです。すると、人から素直に学ぶこともできませんし、そもそも他人が近寄り難くなり、大切な情報をもたらしてくれなくなるでしょう。謙虚な姿勢を持って臨むことで、初めて学ぶことができるのです。
 私は幼少の頃、友人の家族と一緒に定期的に教会へ通っていました。クリスチャンにこそならなかったものの、教会の厳かな雰囲気の中で「人知を超えた何か」の存在を感じ、人間という存在の小ささ、だからこそ人間を愛おしく思う気持ち、そして物事を謙虚に受け止める姿勢が身についたように思います。もちろん、宗教教育をせよとは言いませんが、子どもがそうした経験をできるような環境を作り出してやることも大切ではないでしょうか。

3.「リーダー人材に必要な基礎学力」について

興津 誠 氏 「全ての国民に必要な基礎学力」に加えて、「リーダー人材に必要な基礎学力」には、次の2つも含まれます。

(1)「リベラルアーツ(教養)」
 将来、人々の先頭に立って進むべき道を示していく必要があろう人材にとって、「リベラルアーツ(教養)」は決して欠くことのできない「基礎学力」だと言えるでしょう。
 例えば、海外で事業を展開する上では、現地の「地理」を知っておくことが求められます。ここで言う「地理」とは地形や河川の名前などではなく、その国や地域の「成り立ち」や、他地域との経済的・文化的な「繋がり」のことを指します。それを理解するためには、より大局的な見地から世界の「地理」や「歴史」を理解しておくことが必要です。これこそまさに「リベラルアーツ」のひとつでしょう。

 「リベラルアーツ」に基づく大局観が求められるのは、ビジネスに限った話ではありません。例えば、コソボやチェチェンなど世界各地で起きている民族間紛争を解決していく上では、事象を大局的に捉え、お互いの価値観の相違を克服していく必要があります。また、日本が韓国や中国との関係性を考える上でも、アジア全体の経済的発展を視野に入れなくてはなりません。
 このように事物を俯瞰して見るために不可欠なのが「リベラルアーツ」であり、国や組織のリーダーになる人は、高等教育を通じてそのベースを築いておくことが必要不可欠なのです。日本の大学教育を見ていると、専門学部と比べて教養学部の価値が低く見られすぎている気がしてなりません。

(2)「高い倫理観」
 もうひとつ、将来のリーダーに身につけておいてほしい「基礎学力」が、「高い倫理観」です。
 私が就職する時、祖母から「会社に入ったら、酒は自分のお金で飲め」と言われました。当時は、わざわざそのようなことを私に言う祖母の意図がよく分かりませんでした。祖母は満州で料亭を経営していた頃、国や会社のお金を私的に流用して飲み食いする人たちを数多く見てきたそうで、私にはそうした人間になってほしくなかったようです。社会に出てみると、確かに公金を私的に流用したり、失敗や不正を隠ぺいしたりと、倫理観に欠けた行動をする人は少なからず居るようです。当然ですが、そのような人が人々の先頭に立つ資格はないのです。
 この「高い倫理観」は、前述した「畏怖心」の上に成り立つものであり、それがあってこそ初めて身につけられるものだと考えています。

4.社会の総体的な発展に向けて

 昨今、「企業統治(ガバナンス)」や「企業の社会的責任(CSR)」などが叫ばれていますが、こうした概念が輸入される遥か以前から、日本企業はすでに高い倫理観をもって経営にあたってきました。しかし、最近では利益ばかりを追求し、見境なく買収工作に出たり、会社ぐるみで不正を働いたりする企業も出始めています。これは個々の従業員のみならず、企業トップの人々のモラルまでもが低下していることを象徴しています。
 ヨーロッパでは、「ノブレス・オブリージュ(高貴なる者の義務)」という概念が普及し、「財力や権力、社会的地位をもった人こそ、人々の模範となって社会に貢献しなければならない」という意識が、人々に植え付けられています。また、アメリカは自由主義経済の国ですが、財を成した企業が財団を作って社会貢献事業を展開するというのが一般的になっています。一方、日本ではこうした風土が希薄になったため、自由競争に拍車がかかれば、各社が自社の利益ばかりを追求することとなります。そうした状況が続けば、国や社会の総体的・継続的な発展は望めません。
 その意味でも大切になってくるのが、前述した「基礎学力」を身につけさせることだと考えます。全ての国民が、「読み書き計算」「基礎体力」「習い事」「畏怖する心」を備え、人々を導くリーダーは「リベラルアーツ」と「高い倫理観」を備えている。次代を担う子どもたち一人ひとりが、これらの「基礎学力」を身につけられるよう、社会を挙げて取り組んでいく必要があるのではないでしょうか。


※掲載内容(所属団体、役職名等)は取材時のものです。

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