公益財団法人 日本漢字能力検定協会

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基礎学力を考える 企業トップインタビュー

株式会社日本航空

西松 遙 氏

代表取締役社長 西松 遙 氏

1948年生まれ。1972年東京大学経済学部卒業後、同年日本航空株式会社入社。フランクフルト支店フランクフルト空港所総務セクションマネジャー 兼 フランクフルト支店フランクフルト営業所総務セクションマネジャー、資金部長、株式会社日本航空 取締役等を歴任後、2006年より現職。

1.思考力や思考パターンは母国語力に規定される

 全ての人は、言葉を用いて考えます。どこの国籍の人であれ、必ず母国語を使用して思考します。たとえバイリンガルの人であっても、自分を生み育てた環境で使われていた言葉(つまり母国語)が心と身体に深く根ざしており、「思考の基軸」となっているはずです。人は誰しも、祖国の言葉で思い、想像し、繋ぎ、紡ぎ、考えを練っていくのです。このことから、次のふたつのことが言えると思います。

(1) 母国語の運用能力の高低が、その人の思考力の高低を規定する。
(2) 母国語の特徴が、その人の考え方や思考パターンを規定する。

 これらのことは、海外駐在時の経験や、諸外国の取引先や顧客との対話などから強く感じたものです。
 例えば、ドイツ語は極めてロジカル(論理的)な言語であるため、ドイツ人は総じて「理屈や理論が通っているかどうか」を重視する思考特徴があります。彼らと対話をしていると、得たい結果よりも理論の整合性を通すことに重きを置くというパラドクシカル(矛盾的)な状況に陥ることがあり、困惑することもしばしばでした。
 英語という言語は一般的には論理的であると思われがちですが、私は一概にそうは思いません。イギリス英語は比較的厳密に運用されるようですが、特にアメリカ英語に関しては、文末を「ではないでしょうか」「ですよね」などと濁すファジー(曖昧)な表現も多く、アメリカ人の思考もある意味大雑把で曖昧な傾向があると感じています。
 世界の言語のほとんどは表音文字です。文字は音を表す記号に過ぎず、文字そのものに意味はありません。ところが、漢字だけは異なります。象形文字を起源に持つ厳密な表意文字であり、意味のぶれが無く、極めて論理的な文字です。そんな漢字だけで構成されている中国語を使う中国人も、ドイツ人と同じく論理性を重視する思考を行う傾向にあるようです。

2.日本語の論理性を担保するのは「漢字活用力」

 日本語は、ある意味極めて特殊な言語と言えるでしょう。極めて論理的な表意文字である「漢字」と、非常に曖昧な表音文字である「かな・カタカナ」両方を含んでいるという、世界でも類を見ない言語形態だからです。その意味では、日本人は論理的な思考と曖昧な表現を同時に内包させるという高い知的能力を要する芸当を、日常的に行っているといえます。
 日本語独特の表現を例に挙げてみましょう。川端康成氏の『雪国』の冒頭にある「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という有名な一節です。この文章を良く読むと、実は主語がありません。主人公の島村青年と列車が、主語として同時に存在しているのです。それでも、恐らくほとんどの日本人が、島村青年の視線から列車の窓を通して雪国の景色を見つめるに違いありません。「主語が揺らぐ」という芸当をやってのけながらも、主語を等しく認識できるという、極めて高度な表現なのです。名文と呼ばれる所以のひとつではないでしょうか。

 「国際社会で活躍する日本人が少ないのは、論理思考が苦手だからである。それは、日本語そのものが論理的でなく、曖昧であることに起因する。」という意見もあるようですが、私はそうは思いません。先ほども述べたように、日本語の論理性を担保しているのは「漢字」です。「漢字」をきちんと活用できるようになれば、日本人でも論理思考を行うことができるのです。逆に言えば、「かな・カタカナ」だけで論理思考を行うことなど不可能でしょう。「漢字」が持つ厳密な意味を、「かな・カタカナ」による助詞・助動詞が繋ぎ、日本語の文脈、即ち思考経路が成り立つのです。日本人の思考力を支えるものについてを議論する時に、単に「母国語力」と置いてしまい、この最も大切な「漢字活用力」というポイントを見逃してはいけません。

3.「想像力」「創造力」は「思考力」と同義~ それを支える「漢字活用力」「数字力」~

西松 遙 氏 「思考力」とは、即ち未来への「想像力」と「創造力」と言い換えることができると考えます。
 国や社会の未来を拓いてくためには、「想像」したものを「創造」することが必要不可欠です。当社のように、日本と世界を繋ぐ交通インフラの整備という大きな社会課題解決に携わる企業では、10年20年先まで見越した「想像力」と「創造力」が問われます。そしてこの「想像」と「創造」は、目の前に無いものを言葉で表し、体系化・構造化し、賛同者や協力者を集めて実現化を図るという過程を経ることになります。この点において、母国語の運用能力と、それに根ざした論理思考力(日本語においては特に漢字活用力)が必要となるのです。
 全ての子供たちに身につけさせるべき「基礎学力」の最優先事項と言えば、この「日本語の読み書き」特に「漢字活用力」であることは論を待たないと考えます。

 ただし、「想像」したものを確たる構想のレベルに引き上げ、着実に実現化するためには、「数字力」も欠かせません。数字というぶれようの無い究極の論理によって、実現を裏打ちできるレベルまで論理性を突き詰めなければ、「絵に書いた餅」で終わってしまうケースも多いのです。従って、全ての子供たちに身につけさせるべき「基礎学力」の次優先事項は、「数字力」であると考えます。
 当社を例に出せば、「顧客に絶対的な利便性と安心感を提供する」というコンセプト(構想、概念)を実現しようと考えた場合、定時出発率・安全整備率・搭乗率等の数字を、具体的にどのレベルまで達成すれば良いのか突き詰める必要があるのです。論理のスタートは言語ですが、論理を突き詰めて行くと数字で表せます。「数字の意味を読み取る力、理解する力」がとても重要なのです。

4.国や社会の発展の原動力は「国民の基礎的能力」

 日本が明治維新以降に急速に近代化を実現できたのは、江戸時代における「読み書き」教育の賜物(寺子屋教育により、一般市民の過半数が識字していた)と言われています。また、太平洋戦争後の急速な経済発展の原動力の一つにも、極めて高かった国民の識字率(98%を超えていた)が挙げられるでしょう。このように、10年20年後の国や社会の発展を支えるのが「国民の基礎的能力」であることは間違いありません。中でもコミュニケーションと思考力の基盤である「読み書き」というインフラが整備されていたことと、決して無縁ではないでしょう。

 私は「国民の基礎的能力」が、日本において極めて重要と考えます。
 日本の経済活動が基本的にどのように成り立っているかといえば、「原料を諸外国から購入する」「創意工夫を凝らした製品やサービスを諸外国に販売する」「その付加価値部分の収益で食料や燃料を諸外国から購入する」という構造になっています。日本が当てに出来る資源は、国民の「基礎的能力を土台とした創意工夫する力」、言い換えれば「読み書き計算を土台とした思考力」しかあり得ないのです。天然資源や国土などが殆どない日本で、1億3000万人の暮らしを守り発展させていくに当たって、如何に「国民の基礎的能力」が大切かが分かるでしょう。
 また、日本という国は、島国であるという地理的条件もあり、民族が交じり合う歴史が比較的少なかった国です。世界史上で見ると珍しい国と言えます。この特異性を理解しておかないと、国際社会で浮いてしまうことになりかねません。「基礎的能力」の一つとして「日本独特の歴史文化」を理解しておく必要があるでしょう。そして、その特異性を理解した上で、柔軟な視点から「諸国の歴史文化」も理解しておく必要があるのです。

5.JALの社員に求める「基礎的能力」

 これまでの話を踏まえて、当社が求めている「基礎的能力」についてお話しましょう。

(1)「繋がっていける力」
 航空会社のサービスは、パイロット、整備士、客室乗務員、地上スタッフ等様々な役割を担う人々の緻密な連携なくして成立しません。整備士の大変さが理解できないパイロットは信頼され得ないでしょう。また、様々な国や文化圏の方々が顧客となるため、その価値観や文化歴史観を理解出来ないと、サービスの提供がスムーズにいきません。信仰上の理由から口にすることができない食材を、機内食として提供してしまうなど、とんでもないことです。
 相手の状況・苦労、価値観・文化歴史観、等を総合的に理解し、「繋がっていける力」を持った人材を求めています。この「繋がっていける力」の基盤となるのが、前述した「思考力」と「歴史文化の理解」であることは言うまでもないでしょう。

(2)「概念化能力」
 航空需要予測、航空機購入、資金調達、必要な技術修得、設備環境整備など、航空ビジネスにおいては長期的な構想力と緻密な計画力が求められます。既に立案されている計画を実行に移す為の「How」を考える社員も必要ですが、今後どのような計画をなぜ立案すべきなのか、という「What」「Why」を考えられるだけの強い「思考力」、言い換えると「概念化能力」の高い人材が求められます。

6.最後に ~とにかく「日本語」の育成を大切にして欲しい~

 ドイツの駐在員をしていた時、現地の日本人社員達とその家族の世話係をしていたことがあります。その時に、まだ小学校低学年の子供をインターナショナルスクールに入れようとしている社員に対して、日本語学校への入学を強く勧めたことを記憶しています。日本語の基礎が出来ていないうちに英語を学習させると、子供はすぐに話せるようにはなるものの、帰国したとたんに忘れてしまい、結局何も身につかなかったというケースを多く見てきたからです。その子が、日本語でも英語でも「思考の基軸」を持ちえず、将来的に「想像」も「創造」も出来なくなってしまうことを危惧したのです。
 「想像」と「創造」という「思考力」を支える「日本語力」、特に「漢字活用力」の育成を国・社会を挙げて取り組むことが焦眉の急だと考えます。皆さんには、どうか「日本語」を大切にして欲しい、と強く願います。


※掲載内容(所属団体、役職名等)は取材時のものです。

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